『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:862] 2007年06月26日(火) 17:41
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[link:866] 2007年07月03日(火) 01:01
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南桂子は銅板画家で、同じく銅板画家の浜口陽三夫人。本当に繊細で緻密に作られているのに、作品からはほわーんとしたおおらかさ、かわいさがにじみ出ている。ほんとにしみじみと素晴らしく、定期的に見に通いたいほどだ。
mina perhonenの皆川氏とかのデザインを見ているときっとかなり影響を受けているような気がする。南桂子の作品を刺繍でやるとminaの服になりそうだもの。そして同時に展示されていた浜口陽三の作品(どっちかというと、美術館的にはこちらがメイン)は初めて見たのだけど、それもとてもよかった。前日にたくさん食べたさくらんぼが題材になっている作品がいくつかあって、黒いさくさらんぼすごくよかった。
その美術館は日本橋蛎殻町ってとこにあるんだけど、蛎殻町を「かたつむりちょう」だと思っていた(ほんとは『かきがらちょう』)。かたつむりは蝸牛ね。ぜんぜんちゃうやん。漢字力ガタ落ちです。
その後、guiroのプレリリースパーティで外苑前へ。久しぶりに観たguiroはぐんと腕を上げており、圧巻のライヴでした。すごいなあ、と感心する。そして、共演のカタリカタリ、すごくよかった。名古屋のTOKUZOでご一緒した時には、自分の本番前だったこともあって、客席でちゃんと聴くことができなかったのだけど、あの時とはずいぶん印象がちがっていた。なんというか、なんなんだ『ほわーっとした変人ぶり(ホメ言葉)』は!曲も歌も風体もしみじみとした味わいとゆるぎないナニカがにじみ出ていて、しかも面白い。カタリカタリはバンドだし音楽的な内容もちがうけど、タイプとしては田所せいじ(現・せいじ)くんと通じるものがある。なかなかいそうで滅多にいないと思う。どっちのバンドもすごく個性的で素晴らしい。私も負けちゃおれません。