『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:855] 2007年06月19日(火) 00:22
[link:856] 2007年06月20日(水) 00:44
[link:857] 2007年06月20日(水) 23:52
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[link:859] 2007年06月23日(土) 02:26
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しずちゃんといえば、南海キャンディーズの、じゃなくて、もちろんわが自慢の友、イラストレーター早川司寿乃である。
しずちゃんが名古屋に越してしばらくたったんだけど、知らない間に4月から中日新聞に連載されていた菊池寛の小説の挿絵を描いていたのであった!そりゃもう見ないかん、とさっそく母に切り抜きを送ってもらった。しずちゃんの絵には、ほんとに昔から『どこでもないどこか、でも、きっとどこかわからないけどこの宇宙のどっかにはああいうとこがあるにちがいない、と思わせるような、つまり非現実なのになぜかとても現実味の感じられるめったにない景色』があって、そういう景色を見るたびに、いつもそこへ行きたくなる。しかも、なんかその辺の縁の下をくぐれば意外とひょいとこういう場所へ行けるんじゃないか、と思えてしまう。
そんなしずちゃんと、私が電話でしゃべることはというと、まったくほんとにどーーーーーでもいい、むだ話。やれメダカが増えた、犬に噛まれた、でかい竹を買って来て鉢に植えた、ツバメが巣を作った、カメが迷い込んで来た、猫が庭でねずみを取って食べたらしいがその猫の見当はついている、そいつは玄関の戸におしっこをかけてったあのノラにちがいない、どんぐりが一度枯れたがまた芽がでてきた、新シリーズのバームクーヘンは云々、バームクーヘンよりあたしゃ饅頭がよい、アゲハの幼虫がみかんの葉を食べるので困る、やっとかめ探偵団の新しいのはまだ出ないか、最近の物忘れについて、朝はぞうきんがけ、など。今思い出して羅列してみてもまるで大した話をしていない。
なにより、二人とも年はやや違っているが、物忘れ、うっかりの具合、会話のトロさ、などのレベルが同じなので、会話のテンポがまことに合っている。なのでこのようなトロい話ばかりなのにフと気がつくと40分や1時間はすぐに経っている。が、電話を切ってから、ハテ何をしゃべったか、と思い出すと、前述のような状態なのだ。
でも、こういう果てしなくどうでもよいようなことの連続で暮らしはつづき、そんな中からうまれてくる絵や音楽こそがやっぱり自分なんだな、と改めて思う時間でもある。