『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
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子供の頃のある時、急に雨が降り出して、『オカーサーン、雨降って来たヨオー。』と家の中にいる母に教えたら、『どのくらい降ってる?』と聞き返された。
どのくらい?どのくらいって言われても. . . . .と困った私は家から新聞の折り込みチラシを持って外へ駆け出し、雨の中に数秒かざしてから、ボツボツと雨の跡に濡れたチラシを『これくらい』と母のところへ持っていっては、笑われていた。
それは当時自分では、大変頭の良い方法のように思えたけども、雨の中にどれくらいかざすかはまったく私のテキトーな感覚で、小雨の時なんかは跡があんまりつかないのが物足りなくてながーくかざしてから持っていったりしていたので、まったく不確かなデータだった。
それでも、大粒の雨なのか小雨なのかはわかるから、大雑把に『大雨』あるいは『大粒』『普通』『小雨』ぐらいの判別はつくから生活上必要な情報として60%ぐらいは信用できないこともない。
天気予報で降水量というのはどうやって算出しているのかよくわからないんだけど、案外、このチラシ方式みたいなサンプリングでやってるのかもなあ、と雨のたびに思ったりします。