忘れ物はないね?

『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の 中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ

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2007年01月06日(土)

作詞の修正をしたり、チッチになって曲を作ったり、修正したり、チッチになったり、修正したり、、、
あ〜〜〜〜、シンプルだけど条件がたくさんあるものを作るってほんとに難しいのね。
そして、合い間に寒中お見舞いのはがきを1枚ずつ手描きで。年賀状さえ満足に出せなかったダメ子をどうかお許しください。
しかし手描きの寒中お見舞いは、脳が疲れていたのか、激しくグダグダな絵になった。。。。。
外は雨。お餅を食べる。年末にあまった『かぶ』も食べる。

[link:776] 2007年01月07日(日) 00:55


2007年01月04日(木)

メトロトロンの新年会で湾岸の鈴木博文さん宅へ。
ずいぶんご無沙汰してしまっていた湾岸に着くなり、スマートになった犬のバクが出迎えてくれ、一応覚えていてくれたようでした。湾岸のお正月らしく、次から次へと人が集まってくるのに、博文さんは長時間お留守、という、これまた湾岸らしい新年会でした。最初から最後までお台所で、腕をふるってくださっていたNさんの料理がどれも素晴らしくおいしくて、先日のお友達の手料理といい、みんなすごいなー。いいなー。と、ここでもまた、『料理上手』な女性への憧れが一段と高まる。
今度こそ鍋ごとどかーんと持ってって『家で煮てきたの』とか『これ焼いて来た』とか、やってみたい。
メトロトロンは今年20周年だそうです。
何か楽しいことがありそうな気配。楽しみです。

[link:775] 2007年01月05日(金) 01:03


2007年01月02日(火)

お友達のおうちへおじゃま。
お友達のお手製おせち、白味噌仕立てのブイヤベース、そして主に私ががんばっ(て材料を切っ)たTOKUZOの森田さん直伝のパスタ、そしてこれも私ががんばっ(て切っ)た、高山なおみレシピのかぶの輪切りの焼いたやつ。
をもりもりいただく。デザートは寿やの栗きんとん羊羹と、ニトベイナゾウもとい、イナムラショウゾウのチョコとマロンのパウンド。もうおいしいものがいっぱーいの楽しいお食事会でした。
白味噌とブイヤベースは合うんだねー。魚介のエキスがでまくって、ものすごいイイお味。Sさんの黒豆もピッカピカのふっくらで甘さ控えめですごいおいしい。田つくりもほどよく香ばしくて、数年前に自分で作って焦げたやつとはくらべものになりませんでした。いやーおいしかった。ごちそうさまでした。
ごちそうの後はボードゲーム。スコットランドヤードは、すっごくポーカーフェイスでがんばったのに、結局いちばん端っこに追いつめられて自首、という屈辱的な結果に終わる。
ねんどで形を作ったやつを当てるゲーム(バルバロッサっていうんだっけ?)はとうもろこしの一粒を巨大に作って非難をあびる。
ともかく、とっても楽しいお正月の一日。

[link:774] 2007年01月05日(金) 00:56


2007年01月01日(月)帝釈天より愛を込めて(寅次郎拝)

あけましておめでとうございます。
帝釈天へ行ってきました。よくよく考えてみたら、帝釈天はお寺なのですが、まあいいことにしましょう。
おみくじは半吉。昨日の日記に『まったくの思いつき、思い立ちでビジョンのないまま、ここまできてしまった』と書いたばかりだったのですが、おみくじの内容は『目さきの好きことにつられて行動してばかりいると必ず後悔するので、前後をわきまえ誠実に行くべし』と。
なるほど。今年の戒めにしよう。
こんな私ですが、どうぞよろしくお願いします。
さっそくですが、ライヴのスケジュールをアップしました。
12日のチッチ&クック、26日の浜松に続き、3月22、23、と京都大阪ツアー。続いて30日はMANDA-LA2です。京都は『ふちがみとふなとと加藤千晶京都篇』MANDA-LA2は新シリーズになるかもしれません。
その間の2月とかにももしかしたら予定が入るかもしれませんし、今年もまた楽しいライヴがたくさんできそうです。
みなさん観に来てくださいね。よろしくお願いしまーす。
さて、とにもかくにも、今はブルーズモード。チッチ&クックのブルーズを何曲か作らないと!

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[link:773] 2007年01月01日(月) 03:25


2006年12月31日(日)今年のライヴなどすべて終了!

今日は三鷹にある古書上々堂の三周年イベントにおよばれ。
久住さんにも来ていただいて、何曲か演奏しました。ものすごく久しぶりに久住さんとの共作『大根はエライ』もやった。
上々堂は本屋さんなので、お店にはドカーンドカーンと本棚があるのですが、その棚の間の列にお客さんに座ってもらって、入り口に思い切りお尻をむけて演奏する、というたまらなく斬新なスタイルのイベントで、とても楽しかったです。お客さんは自分の前に座っている人とステージ側の自分の正面部分しか見えなくて、横は棚によって遮断されており、ある意味ステージで行われていることに集中できるが、他のお客さんの様子はまったくわからない、という妙な状態で、それでもみなさん楽しんでくださったようでよかったです。
ミニライヴの後にトークもあり、古本マスターの岡崎武志さんと古本の話をするのかと思ったら、思いもよらず私のいろいろをあれこれ質問されるコーナーになっていた。岡崎さんは私が自分でも気がついていなかったようなことを意外な切り口から検証してくださり、生まれてこのかた『振り返る』という行為をまったくと言っていいほどしたことのない私は、自分のことながら『へえ』『なるほど』などと思ってばかりでアホ丸出しでした。
でも聞かれれば聞かれるほど、自分という人間はなんとビジョンのない、また反省とか目標とか夢とか、人にこういうことを伝えたいのだということのない生き方をしているのだろう?と気がついて、ちょっとおかしかった。本当にその時の思いつき、思い立ちの連続でここまで来てしまったようです。
そんな私も一応自己弁護の為に書いておきますと、つい数年前に実家で、すっかりしまいこんだままになっていた小学校の卒業文集の作文を読んだら、『音楽を作るひとになりたい』と書かれていて、小学生以前の小さい頃になりたかったものは『豆腐屋さん(理由は大きな樽から豆腐をすくいたかった)』と『歯医者さん(理由は人ののどちんこが見られるから)』だったという記憶はしっかりあったので、まさかそんなことを卒業文集に書いていたとは思わず、驚きました。
つまりは、物心ついた時からピアノだけをずっとやめずにやっていて、小さい頃から曲を作っていたし、途中で芝居などの要素も加わったりもしましたが、常にずっと続いていたのは音楽だったのでもうこうなるしかなかったのでしょう。

というのは上々堂ではお話ししませんでしたが。
ともあれ、今年最後のお仕事も楽しく終了しました。
今年もよい出会いがたくさんあり、たくさんの見えるものや見えないものの粒々を感じることができてうれしかったです。
来年もまたそうでありますように。
そして色々な糸でつながっているみなさんにも、2007年がよい年でありますように。
どうもありがとうございました。
またあしたからもよろしくお願いします。

[link:772] 2006年12月31日(日) 01:02

2003年6月16日までの日記


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