『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:772] 2006年12月31日(日) 01:02
久住さんにも来ていただいて、何曲か演奏しました。ものすごく久しぶりに久住さんとの共作『大根はエライ』もやった。
上々堂は本屋さんなので、お店にはドカーンドカーンと本棚があるのですが、その棚の間の列にお客さんに座ってもらって、入り口に思い切りお尻をむけて演奏する、というたまらなく斬新なスタイルのイベントで、とても楽しかったです。お客さんは自分の前に座っている人とステージ側の自分の正面部分しか見えなくて、横は棚によって遮断されており、ある意味ステージで行われていることに集中できるが、他のお客さんの様子はまったくわからない、という妙な状態で、それでもみなさん楽しんでくださったようでよかったです。
ミニライヴの後にトークもあり、古本マスターの岡崎武志さんと古本の話をするのかと思ったら、思いもよらず私のいろいろをあれこれ質問されるコーナーになっていた。岡崎さんは私が自分でも気がついていなかったようなことを意外な切り口から検証してくださり、生まれてこのかた『振り返る』という行為をまったくと言っていいほどしたことのない私は、自分のことながら『へえ』『なるほど』などと思ってばかりでアホ丸出しでした。
でも聞かれれば聞かれるほど、自分という人間はなんとビジョンのない、また反省とか目標とか夢とか、人にこういうことを伝えたいのだということのない生き方をしているのだろう?と気がついて、ちょっとおかしかった。本当にその時の思いつき、思い立ちの連続でここまで来てしまったようです。
そんな私も一応自己弁護の為に書いておきますと、つい数年前に実家で、すっかりしまいこんだままになっていた小学校の卒業文集の作文を読んだら、『音楽を作るひとになりたい』と書かれていて、小学生以前の小さい頃になりたかったものは『豆腐屋さん(理由は大きな樽から豆腐をすくいたかった)』と『歯医者さん(理由は人ののどちんこが見られるから)』だったという記憶はしっかりあったので、まさかそんなことを卒業文集に書いていたとは思わず、驚きました。
つまりは、物心ついた時からピアノだけをずっとやめずにやっていて、小さい頃から曲を作っていたし、途中で芝居などの要素も加わったりもしましたが、常にずっと続いていたのは音楽だったのでもうこうなるしかなかったのでしょう。
というのは上々堂ではお話ししませんでしたが。
ともあれ、今年最後のお仕事も楽しく終了しました。
今年もよい出会いがたくさんあり、たくさんの見えるものや見えないものの粒々を感じることができてうれしかったです。
来年もまたそうでありますように。
そして色々な糸でつながっているみなさんにも、2007年がよい年でありますように。
どうもありがとうございました。
またあしたからもよろしくお願いします。