『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:753] 2006年11月20日(月) 23:19
でも、途中、ひたすら道を反対に歩いていたり、まちがったところで曲がってよくわからなくなったりしたわりには、迷って迷って結果すごくいい場所にひょっこり出たりして、それらが全部うまい具合に時間調節ができ、つまるところ、まるではじめから迷ったり逆に行ったりすることが計算に組み込まれていたかのように全部予定通りに行くことができた。ああ、みなさんどうもありがとう。
森さんの絵は、原画で見るとますます空気がつかめるような感じで、こどもたちのおきゃんで元気で、むちゃくちゃで、たまに変で、透き通った様子が生き生きと伝わってきた。
運よく森さんにもお会いすることができたのだけど、森さんとお会いするのはかれこれ15〜6年ぶりで、お互いパッと見ではわからなかった。でも、すぐにあ!と気がついてお声をかけたのだけど、振り向いた森さんの一瞬きょっとーん、とした顔が面白かった。
その後アノニマスタジオに無理矢理おじゃまする。Tさんは忙しい中、時間をさいてくださって、少しの間お話する。
アノニマスタジオは、とっても心のある丁寧な本をたくさん作っていて、週末にオフィスでイベントをしたりもしている出版レーベル。イベントで出るお菓子やお料理がおいしそうなんだよなー。
で、古書ほうろう。Mさんとはすれ違い。でもまた本をがさっと買ってしまう。もう、ほうろうといい上々堂といい、なんでそんなに私が買ってしまう本ばかりを売るのだ!
韓国料理は久しぶりで、辛、辛、辛、辛。
ダッカルビを頼むと、いつもはトッポギが入っていて、そのノワ〜っとした食感が辛いのを休める重要な役目をしていたのに、今日は入っていなくてショック。忘れたのかなあ。それとももう入れなくなったの?