『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:757] 2006年12月04日(月) 00:27
[link:758] 2006年12月05日(火) 23:41
[link:759] 2006年12月07日(木) 01:33
[link:760] 2006年12月11日(月) 22:22
[link:761] 2006年12月13日(水) 23:33
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そろそろ11月も終わり、怒濤の師走に突入です。
年末までにはみなさんいろいろおありだと思いますが、28日のどろグラ、忘れないでね。冷蔵庫とかに貼っておいてね。
ご予約もお待ちしています。
今日は、はがきを持って古書上々堂へ。いつも石丸さんとはすれ違いで、今日もやはり、と思ったら、ゼツミョーなタイミングで石丸さん登場。お会いすることができました。
30日にやる上々堂のイベントのこととか、探している本のお願いとか、あれこれ話す。あれ?石丸さんてこういう髪型だったっけか?初めてお会いした時には確かもっと太宰風ではなかったかな。今日は太宰治がパーマをかけたよう。しかしどちらにしても根っからの文学青年顔というか、容姿全体が文学風でシブいのだ(ご本人が好む好まざるにかかわらず)。人はそれぞれ、身にまとう空気感があって、それはその人の聴いていそうな音楽、読んでいそうな本、着ているもの、などから受ける印象なんだけど、この際音楽と本は置いておいて、石丸さんは不思議なことに柔道着からミハラのレザーライダース(←よく知らんけど)あたりまでどれも結構似合ってしまいそうな雰囲気があるのだ。果てしなくまちがって「ちょい悪オヤジ」の格好になったとしても、いわゆる現在の正統派ではないが、かなりな「ちょい悪」として何の違和感もなさそう。正統サラリーマンスーツとか着物とか白衣とか、ピエロとか、ダメージデニムとか、ジャージとかも多分イケる。宇宙服とかもオッケーだろう。ギャルソンの服とかだってむしろ似合いそうだ。その中で、最も似合わなそうな格好はやっぱりヒップホップのあのランニングとずり下げの半端丈デニムとかだろうか。。。。
話がかなりそれてしまったけど、面白い方です。石丸さんは。
そんな古書上々堂にて、本日の買いました本はその名もずばり『こけし』。
日本中のこけしの系譜とデザインの美しさのみがつづられた大変貴重なこけし図鑑です。真上からみた頭頂のデザインとか、横からみたもみあげの描かれ方とかも1コマ1コマ載っています。こけしそのものの系譜と写真以外の写真は『こけし部屋』、『こけし群像』『部屋のなかのこけし』『こけし店』『洋酒瓶とこけし(六本木にて)』など、イカしたものばかり。そして解説ではこけしを鑑賞するにあたり、『数十本でも一本でも鑑賞の対照となり得るのがこけしである。こけしは受動的であるが、こけし美を身辺から離してはいけない。(中略)一本のこけしを凝視し、量感、情味、気迫、センスなどを味わい、こけしを積極的に読まねばならない。〜「こけし=美と系譜=鹿間時夫・中屋惣舜著」より〜』と、他に類を見ないスルドさでこけしと対峙している。
以前買ったサボテンの本もそうだが、こういったいわゆる専門書というのは、書き手がその対象物と本気で人生をかけてむきあっているので、その一字一句から気迫と愛情が溢れ出ている。
こういう記録が残り、研究がされていることで、一般的には名も知られることなく亡くなっていったこけし工人も人生をかけてこけしを彫った甲斐があったというものだ。
しかし、こけしにこんなに系譜があって、流派があったとは知らなかった。私が教師だったらものすごくテストに出したくなるほどある。こけし検定とか作れそうなぐらいある。