『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:736] 2006年10月24日(火) 21:33
しかし普通に受けると、外のスピーカーから出る音がものすごくでかく、とてもまわりに迷惑で、非常に時間と場所を選ぶことがわかった。しかも、たいていテレビ電話にして話していることなんて、まったく重要な内容ではなく、『わーい、おーい、あ映った映った。おつかれー(手を振ったり)。』とか『ここを見ると目線はどこ?』とか『これ映ってる?見える?』『もうちょっと上、あ、行き過ぎ』とか、本当にアホのようなのである。それにしても気がつけば、一人一台持ち運びテレビ電話、というのが普通の時代にこんなにあっさりなるとはなあ。
しかし、いつも昔に想像する未来の機械はたいていでっかくてスゴイ形なんだけど、実際は洗練されればされるほど、機械は小さく軽く、シンプルになるのであった。さすがにそのことには昔は気がつかなかったようだ。