『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:730] 2006年10月11日(水) 02:51
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[link:734] 2006年10月17日(火) 23:36
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それはそうと、運動会ってものにもう十数年縁がないのだけど、今、私が運動能力テストとかしたとしたら、100mとか何秒ぐらいなんだろ?
実は私は球技とかがまるでだめ。持久力もまるでなし。
そのかわり瞬発力オンリーのものは得意で、その場で飛ぶ、とか、短距離走とか、鉄棒でぐるぐる回る、とかは得意。つまりとっても原始的な運動は得意。でももうきっとまるでだめ夫だろうなあ。鉄棒とか機会があったらやってみたいんだけどなあ。
それにしても東京の学校の運動場を見てびっくりしたのは『土じゃない』ってこと。なんかアスファルトみたいな転んだらとっても痛そうな地面。それどころか、学校によっては屋上に運動場
、または運動は体育館、みたいな。別にそれしか知らない人はそれでもなんとも思わないだろうが、私のような世代からすると、そりゃほんとにびっくり、という気分です。
運動場が土じゃなかったら、放課(余談ですが名古屋では休み時間のことを放課という。で、いわゆる『放課後』のことは、私の小学校ではちゃんと『授業後』と言っていた。世間で言う『放課後』のことを知った時、私たちの理屈でいうと『放課後』は放課の後だから授業中ということになっちゃうから、なんかへんだなあ、と心の中で思っていた。)に外で遊ぶ時も、字隠し(地面に字を彫り込んで上から土をかぶせて隠し、その字を指でさぐって当てる)とか、地面にでっかくお花を描いてその中を逃げる鬼ごっことかできないんだなあ。指や足ですぐ地面に線が引けないとやりにくい遊びがいっぱいあったはずだけど。
まあそのかわり、今のこどもはダンスとかパソコンとか、他にやる楽しみがいっぱいあるから、別にどっちがいいとかは思わないけど。私が今の時代にこどもだったら、やっぱりヒップホップのダンスとかやったりしてるかなあ。ホッポング(古)とかはビョンビョンやってたけどなあ。
なあ、なあ、の多い文章だなあ。