『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:721] 2006年09月29日(金) 23:07
思えば『おせっかいカレンダー』のジャケットの絵をお願いするにあたり、何度も震える手でお電話したかこ先生。その度に私は頭の中で、電話の向こうのお仕事場で電話をとられている姿を鮮明に思い描きながら、受話器のこちらで頭を下げていたものでした。その時には別にお仕事場を想像しようとしてしていたわけではなくて、なんとなく電話する度にフと頭の中で思い浮かんでいたのでしたが、原稿を取りに伺うと言っても、お礼に伺うと言っても、静かに断られる先生のご様子を察して、一生先生のお仕事場など見られることはないと思っていました。でもその想像していたお仕事場と、今日MOEで見たお仕事場はまるで同じ。本棚の様子も窓も机の配置も机も、光の具合まで。MOEを見た時は一瞬、自分は以前にかこ先生のお仕事場を訪ねたことがあって、その記憶があったのかと勘違いしてしまいました。ついに好きすぎて透視か。