『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:716] 2006年09月22日(金) 23:33
更には、殺すわけにもいかないそいつらをどこに捨てるのか?誰がつまむのか?菜箸などでつまめるのか?仮につまめたとしてもつまみが甘くてスルリと菜箸を抜け、私の足の甲にでも落ちたらどうするのか?では、やはりこのまま袋に全部をとじこめ、袋の口を固くしばってゴミ箱か?でももし袋のしばりが甘くて夜中の間にゴミ箱を抜け出し、寝ている私のところまで這って来たらどうするのか?
それ以前にこれはこの状態できのう一晩冷蔵庫に入っていたわけだけど、逃げ出したやつは一匹もいないと断言できるのか?もしかすると一匹ぐらい冷蔵庫の野菜入れ場を這っていたりしたらどうするのか?そしてその這っているやつがひょんなことから冷蔵庫を抜け出し、やはり寝ている私のところにまで這って来たらどうするのか?というようないろいろな思いが一瞬のうちに頭を駆け巡り、そうこう考えている間にも、万一株の中からピョーンと飛んできたらどうするのか?など、頭のおかしい人のようになり、もう完全に限界が来て、そのブロッコリーをベランダの柵の外の隣との境目の芝生の上に置いてきてしまった。
そしてそのまま名古屋へ行ってしまった。
帰宅してブロッコリーを見てみると、それは茶黄色くなって、完全に死んだ感じになっていたけども、株の奥にいた人たちがどうなったかは確かめる術もなく、確かめる勇気もないまま現在に至っている。隣の人に見つかってないだろうか?妙な疑いをかけられたら上から落ちて来たように見せかけよう。
青虫はかわいい、と多くの人が言うし、私も写真とかで見ると、『そういわれればそう思えなくもないな』と思うのだけど、実際に自分の手に乗り移ってきそうな境界のないところで対峙するのはかなりこわい。ガラスケースの上から見るのも飛び出して来そうでこわいので、四方を絶対に私とはつながっていない状態で囲ったものを見るだけなら大丈夫かもしれない。