『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:704] 2006年09月04日(月) 01:23
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とかいいつつも、子供の頃は夏休みも夏休みでない日もまったくおんなじように野山をかけまわって遊んでいたか、そうでない時はピアノの練習をしてからトムとジェリーを観ていたか、ほとんどそのどちらかだったので、特別に『夏休みの思い出』というのが意外とない。っていうか思い出せない。高学年になってきてからはあそこへ行ったとかここへ行ったとか、多少はあるのだけど。一人っ子だったために、小学校の特に1年か2年の頃は常に一人で遊ぶことがまったく苦じゃなかったが、一人遊びのくせになぜかアウトドアな子供だった。1年生2年生の頃の夏休みの宿題の絵日記がまだ残っているのだけど、それを見ると、4日連続で『今日は家の前の木イチゴをとって食べました。木イチゴはとてもあまくてすっぱかった。』という文章が出て来ている。当時家の前に野生の木苺がいっぱいあって、毎日毎日とっては食べていたのはしっかり覚えているが、4日連続でそれを書くとは、よっぽどほかにすることがなかったのだろう。日がな一日何をするでもなく草をちぎり、虫を追い、堤防をどこまでも歩き、そして木苺を食べて過ごしていたと見える。それに対する先生のコメントがまたおかしくて、最初に木苺のことが書かれてある日は文の横に○がたくさんうってあり、『木イチゴが生えているのですね。先生も食べたいです。』とあるのに、4日目には『よっぽど木イチゴが好きなのね。』となっている。
また別の日には『今日は蟻の家をつくってあそびました。』という文章とともにデカい蟻と、無理矢理木の葉を重ねて作った蟻の家の絵があった。孤独な子供であったようだ。
でも蟻は今でも見るのが大好きで、蟻の巣を忙しく出たり入ったりしているのを見かけるとついしゃがみこんで観察してしまう。
これは大人になってからだけど、一度、公園で蟻の巣を見ていると、どうやら巣の中に次々と藁のような草のささくれのようなものを運び入れているので、手伝ってみたくなり、そばにあったちょうどよい小ささの藁の端くれをそっと穴から入れてみた。
すると、せわしなく出入りしていた蟻の群れが一瞬シーンとなり、その約2秒後、私が差し入れた藁がピョイッと穴から捨てられた。え!捨てられたよ!蟻にしてみれば自分たちのスムーズな仕事に水をさされてほんとに大迷惑だったんだろうけど、ちょっとショックな出来事だった。
あ、結局夏休みの思い出で今日の日記が終わってしまったじゃないの。ああ、あまくてすっぱい野生の木苺が食べたいなあ。