忘れ物はないね?

『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の 中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ

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2006年08月22日(火)

曲を作ったりアレンジしたりにかかりっきりになっていて、なかなか日記がかけない。先週は金曜日に少年王者舘の公演を観に行って、マチネを観たんだけど、どうしてももう一回観たくなってそのまま夜も観た。
今回の『I・KILL』、泣いた。王者舘の芝居は何時でもどこまでも貫かれていることは一つなんだけど(それを表現する言葉を何度も書いてみたが、文字にするとどれも的を得ていない感じで、おまけに寒くて違う気がする。恥ずかしさに耐えて強いて一言で書くなら『私みたいな空っぽの筒がその時そこに存在していってしまっている切なさ』みたいな。)、今回の『I・KILL』はそれがさらにシンプルに、しかし壮大なスコープで、しかしとてつもなく吹いてとんでしまうくらいなちっぽけな所在なさを強烈に浮き立たせて空間を埋め尽くしていた。うーん、説明が難しい。

でも実は私も『おせっかいカレンダー』の最後の曲『マカロニスコープ』でこれとまったく同じことを歌っているのでした。
『私というものアチラ側とコチラ側』『時間そして季節という(そもそも時間とか季節という定義と記号を決めたのは人間だが)もののアチラ側とコチラ側』みたいなあらゆるものの『アチラ側とコチラ側』も、あちらからみれば『コチラがアチラでアチラがコチラ』だし、からっぽの筒だって時間だってどっちがアチラでどっちがこちらかわからないし、どこまでがコチラでどこからアチラかわからないし、それよりも『アチラとコチラ』なんてつながってるし、だから『アチラ』も『コチラ』もよくわかんないんだけど、そんな中で明らかに私にある『アタシ』という感覚。その『コチラ側とアチラ側』ってことになっている非常に頼りない境界すら無いいろんな場所でうれしかったり泣きたかったりしながら、次々と瞬く早さでどんどん思い出になる感覚。おしまいには『アタシ』『ココ』という感覚もどんどん思い出になって、この皮膚の境界からも溶け出して行ってしまうのではないか、というほんとにたまらなく所在のない心地。
それが見えるところも見えないところもありとあらゆる所でありとあらゆるモノに起きている。
だから向こうが行ってしまった、と思ったら実は私が行ってしまってたり、『ココ』にはいなくても『アソコ』にはいたりして、そういう小さなツブツブがお互いにぶつかり合ってすべてノ『アタシ』をひっぱりあったり、背中を押したりして動かしている。つまり、それが『生まれて死ぬ』ってこと。でもその具体的に『生まれて死ぬ』という現象があるからこそ『生まれて、死んで、死んでもいて、死んでもうれしくて、死んでも悲しくて、死んでもくすぐったくて、死んでも. . . . .(後いろいろ続く)』という心地があるんだなー、と思う。

というところで、結論、『少年王者舘は劇団という箱を借りているけど、やはり劇団ではない。いつも。ある有機的なものの一番核心を、極めて記号化された方法でそこに発生させているナニカだ。』ということを改めて思った。それは私がそこにいたよりずっと前も、私がいた時も、私がいなくなってからも。

あああああ、疲れました。ここまで書いて息が切れました。別に私がこんなことを書かなくてもいいし、書いたところでぜんぜん充分に書ききれてないし、なんか書いてるそばから的を得ていない気がするし、読んだ人も意味わかんないと思うし、もう消しちゃえ、とも思いましたが、まあ今回ばかりは自分の日記のつもりで人に読んでもらうことを意図せずアップしてみます。
ひょっとしてこれを最後まで読んでくださる方がいたら、いろいろな点で読みづらくてすみません。

なんかたったこんだけの日記を書くのにすごい時間を費やしてしまったのでこれからまた音楽に戻ります。
『ふちがみとふなと加藤千晶』、近づいてきました。たくさんの人に観に来てもらいたいです。



[link:700] 2006年08月25日(金) 23:16


2006年08月25日(金)

この夏産まれたメダカの卵と、そっから孵ったちっちゃーい子たちをマリンバの(浅田)実可さんに手渡しに行く。例によってたくさん卵を救出しちゃって、たくさん増えちゃったので実可さんちに集団養子にもらってもらった。最初吉祥寺で待ち合わせしていたのだけど、私はその後三鷹のギャラリーに行く予定があったのと、実可さんも三鷹のほうが近いので、わざわざ三鷹に変更したのであった。実可さんとしばし猫話に花を咲かせ、メダカをしっかとお願いして別れる。だんだん実可さんちは猫屋敷になってってるようだ。。。。。メダカ大丈夫?まあ気にしない気にしない。
さて、実可さんと別れてから花屋さんに寄ってちょっとしたブーケを作ってもらい、待ってる間に蚊に刺され、その後、『南口からバス』と書かれているDMにしたがってその系統のバス乗り場をうろうろうろうろうろうろうろし、まったく見つからないので切符売り場で尋ねると、そこのお姉さんから『これ武蔵境って書いてありますけど、ここ三鷹ですよ、三鷹。』と衝撃的な発言が。一瞬絶句したが、なるほど、武蔵境ね、あーなるほど。ほーなるほど。(だから書いてある)というわけですごすごとまた切符を買って隣の武蔵境へ行き、バス(すぐ見つかった)に乗り、ギャラリー静 へ。ライヴにもよく来てくださってお友達になった山下味希恵さん
http://blog.livedoor.jp/panku718/ の作品展を観ました。
『なつやすみんなで』というタイトル通り、まさに夏休みの宿題展のよう。あちこちにかわいい虫ちゃんがぶらさがったり、ねそべったり、つりさがったり、でっかいカブトムシさん(つい『さん付け』したくなる容姿)が奥の机で勉強していたり。カラフルで楽しい作品展です。息子さんのFくんもその隣でギターをつまびきながらしばしおしゃべりしました。今度はうさぎ話。うさぎってコミュニケーションとれないような気がしてたけど、みきえさんのお話しによると、かなり意志があり、こちらのこともわかっている様子。トイレも覚えるし、さみしいとぺったり足につきまとったり、トイレについてきてドアをカリカリカリカリとやったり、するらしいです。少し前からうさぎ飼いたい熱がちょっとあったんだけど、ますますうさぎ飼いたくなっちゃった。あー、うさぎ飼いたい。


[link:701] 2006年08月28日(月) 02:21


2006年08月28日(月)

来月の『ふちがみとふなとと加藤千晶』で何曲か一緒に演奏をしようと企んでいるのですが、せっかくだからと思って、そのために1曲新しい曲を作った。それ以外にも新しい曲をやるつもりです。うーん、楽しみだなー。みなさん観に来てね。
『ふちがみとふなとと加藤千晶』の後にも10月に楽しそうなイベントが決まって、こちらも近々詳細をアップします。

[link:702] 2006年08月29日(火) 23:51


2006年08月29日(火)

たまに行く(回る)お寿司屋さんは、値段のわりにすごくおいしく、当然いつもすっごく混んでいるのでネタの回転も早く、より鮮度の高いネタが次から次へと出てくる。その日の仕入れの魚を目の前でさばいて、一匹さばかないと出ないレアな部位も限定6皿とかでどんどん出してくれる。高いお皿は高いんだけど、そんなに高くないのでも充分においしいしハズレがなくていいなあ。
で、ああいうところではけっこう注文に人柄が出る、っていうか、顔で注文がわかる。この間は見るからにすっごい派手な一家が座った途端にどんどん大トロとかウニとかを頼みまくっていておかしかった。そこの一家の一番肝となっている人物はお母さんで、どこかで見たことのあるイメージと思ったら『千と千尋の神隠し』に出てくる湯婆婆だった。湯婆婆とギャル系の娘3人、息子、おばあさんとおじいさんという大編成だったが、影の薄い息子(成人)とおじいさんがおそろいの『I LOVE NY』のTシャツを着させられており、おじいさんなどはその上に老人のチョッキを重ね着しており、影の薄さを服装で補おうとしているのか、実は恥ずかしいのかよくわからない感じであった。
それにしても、顔や服装は食べてる物を語ると思う。けっこう顔で好きな物を大体当てる自信がある。とくに寿司ネタはわかりやすい。

さて、10月のライヴが決まりました。今度はイベントですが、代々木にあるZhertheZOO(ザーザズーと読むの)です。
ブッキング担当M氏のこだわりのブッキングのようです。私は初めてご一緒する人たちばかり。ですが、楽しそうです。トップページからぜひチェックしてみてください。私も次回は今回の『ふちがみとふなとと加藤千晶』とは少しちがう編成で参加します。

それから『ふちがみとふなとと加藤千晶』のご予約もまだまだお待ちしていますよ。

[link:703] 2006年09月01日(金) 01:09


2006年08月31日(木)

あーあ、8月31日。あしたから学校かあ(嘘)。
とかいいつつも、子供の頃は夏休みも夏休みでない日もまったくおんなじように野山をかけまわって遊んでいたか、そうでない時はピアノの練習をしてからトムとジェリーを観ていたか、ほとんどそのどちらかだったので、特別に『夏休みの思い出』というのが意外とない。っていうか思い出せない。高学年になってきてからはあそこへ行ったとかここへ行ったとか、多少はあるのだけど。一人っ子だったために、小学校の特に1年か2年の頃は常に一人で遊ぶことがまったく苦じゃなかったが、一人遊びのくせになぜかアウトドアな子供だった。1年生2年生の頃の夏休みの宿題の絵日記がまだ残っているのだけど、それを見ると、4日連続で『今日は家の前の木イチゴをとって食べました。木イチゴはとてもあまくてすっぱかった。』という文章が出て来ている。当時家の前に野生の木苺がいっぱいあって、毎日毎日とっては食べていたのはしっかり覚えているが、4日連続でそれを書くとは、よっぽどほかにすることがなかったのだろう。日がな一日何をするでもなく草をちぎり、虫を追い、堤防をどこまでも歩き、そして木苺を食べて過ごしていたと見える。それに対する先生のコメントがまたおかしくて、最初に木苺のことが書かれてある日は文の横に○がたくさんうってあり、『木イチゴが生えているのですね。先生も食べたいです。』とあるのに、4日目には『よっぽど木イチゴが好きなのね。』となっている。
また別の日には『今日は蟻の家をつくってあそびました。』という文章とともにデカい蟻と、無理矢理木の葉を重ねて作った蟻の家の絵があった。孤独な子供であったようだ。
でも蟻は今でも見るのが大好きで、蟻の巣を忙しく出たり入ったりしているのを見かけるとついしゃがみこんで観察してしまう。
これは大人になってからだけど、一度、公園で蟻の巣を見ていると、どうやら巣の中に次々と藁のような草のささくれのようなものを運び入れているので、手伝ってみたくなり、そばにあったちょうどよい小ささの藁の端くれをそっと穴から入れてみた。
すると、せわしなく出入りしていた蟻の群れが一瞬シーンとなり、その約2秒後、私が差し入れた藁がピョイッと穴から捨てられた。え!捨てられたよ!蟻にしてみれば自分たちのスムーズな仕事に水をさされてほんとに大迷惑だったんだろうけど、ちょっとショックな出来事だった。

あ、結局夏休みの思い出で今日の日記が終わってしまったじゃないの。ああ、あまくてすっぱい野生の木苺が食べたいなあ。


[link:704] 2006年09月04日(月) 01:23

2003年6月16日までの日記


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