忘れ物はないね?:2006-07-07

『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の 中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ

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2006年07月07日(金)

うーむ、だいぶ前から気になっておったのだが、『吾輩は主婦である』の泣き女ちよこの部屋にある椅子は我が家のリビングの椅子と同じものである。この椅子は別にまったく有名なデザイナーの椅子でもなく、かといってどこにでも売ってるものでもなく、微妙な位置づけのものであるがゆえに、そんなところで目にすると妙に気になるのである。
ああ、来週で最終回、か。今まで見続けてきたものの、特にこれといって目をみはるような展開があったわけではないが、終わってしまうと思うとそれはそれで何か心にぽっかり穴のあくような気持ちがするものである。
一日の終わりにだらっと観るの、楽しかったのに。

そして今日は七夕。そういえば、先日中原さんと柴又帝釈天へ行った時、中原さんがおみくじをひいて結果に落胆している間、吾輩はぶらっとそこらへんに結んである絵馬などを読んだりしていたのだが、たいていが太いサインペンなどで『誰それが早く元気になりますように』とか『野球のレギュラーになれますように』など素直でシンプルな願い事が書かれている中、ものすごい細かい字で『彼と別れました。早く彼を振り切って新しい自分になり幸せな人生を踏み出したい。もう○○のような乱暴でろくでもないギャンブルばかりするヒモとは縁が切れますように。そういう男と二度と巡り会いませんように。』というとても具体的で切実な願いごとが書かれているのがあった。彼女のようなタイプの人はきっと子供の頃から七夕の短冊とかにも細かい字で『○○小の△△君に誕生日プレゼントをあげました。手紙に書いたのだけど、△△君も私のことを好きで、帰りにビッグワンの角のところで待っていてくれますように。』などと書いているのではないか、と東急ストアの入り口に飾られた大きな笹を見ながらぼんやり思った次第である。

[link:675] 2006年07月09日(日) 00:58

2003年6月16日までの日記


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