忘れ物はないね?:2006-07-02

『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の 中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ

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2006年07月02日(日)

久住昌之さんの6月26日の日記http://www.qusumi.com/nikki.htmlを読んで、ウチのおばあちゃんもデパートのことを『デバート』と言っていたのを思い出した。年配語は時代を超えてまったくパターンは同じだ。
バスのことを『パス』と言ったりアパートをアバート、ブザーことを『プサー』と言ったりと、『濁点』と『丸』がきれいに入れ替わってたりしてた。
プサーなんて、そのほうが言いにくいじゃん!とか思って、幼かった私はイライラしながら訂正したものだ。あとやっぱりグレープフルーツは『グレープ』と言ってた。ぶどうだよ。
あと年配語とはちょっとそれるけど小学校の時の友達には接骨院のことを『せっこちん』と言っていた子もいた。リエゾンしちゃってる。フランス語か。
年配の人は濁点と丸が入れ替わるのは別として、省略は最後まで言うあるいは全部言うのがめんどくさいんだろうな。
今こんなことを言っている私も80歳ぐらいになったらそうなるのだろうか?『バドパウェル』とか『スパンピナート』とか年寄りには言いにくそうだが。

[link:672] 2006年07月04日(火) 00:13

2003年6月16日までの日記


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