『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:631] 2006年03月23日(木) 00:42
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最近読むものがなくなって、また、すっごく適当に東野圭吾『白夜行』を買ってみたのだが、のっけからまた例のシンクロが起きた。例の、というのは、私はよく『ほんっとにどうでもよいような、しかしとても妙な偶然』が起きる体質。特に何の脈絡もなく手に入れて読みはじめた本の内容と現実がシンクロすることはよくある。あんまりよくあるのでもういちいち気にしないんだけど、例えば読み始めて、描かれている場面の日付けが同じ、つまり『あれ、1月7日って今日じゃん』とか、ついこの間は武蔵小金井からの帰り道に本屋で適当に迷って京極夏彦の本を初めて買ったら、いきなり現場が武蔵小金井だったり。
そして今回は、まったく知らなかったとあるお店に初めて入って(別に有名店ではない)、ごはんを食べた帰りに、これまた初めて入るTSUTAYAでものすごく適当に『白夜行』を買って(ドラマもまったく見た事ないので話も全然知らない)読み始めたら、被害者が立ち寄った店としてまず出て来たお店の名前が、さきほど入ったお店と同じ. . . . 。
私にもしなんらかの『勘』というか、『スルドイ能力』が少しだけあるのだとすれば、それはこんな『どうでもよいところ』に、すごく働いているのでしょうか。