『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:599] 2006年01月30日(月) 00:10
『hao』というかわいいニット雑誌(?)の音楽コラムコーナーに取り上げてくださるそうで、そのインタビューをうけました。そのお話をくださったアノニマスタジオという出版社をやっているTさんは、なんでも『出かける先々のお店で ”おせっかいカレンダー” につきまとわれる』という「おせっかい呪い」に観念してついにおせっかいカレンダーを買ってくださったそうです。そういうお店にあちこち立ち寄っていらっしゃるだけあって、お話ししていると、好きなものや共通点が多く、びっくりするような偶然で次々といろいろな人や場所がつながって話が尽きず、楽しい楽しいインタビューでした。
インタビューをうけたというより、好き勝手話題でひとしきり盛り上がった、という感じでした。よい出会いは楽しいです。
上々堂さんは、行く度に欲しい本が必ずあり、迷うスキすらなく即買いしてしまうという恐ろしいお店なので、今日もややおびえていたのですが、やはりそうなってしまった。前回の時は谷内六郎の画集5巻揃いを買ってしまったのですが、今日もかなりの大物です。何を買ったのかはきっと『hao』に登場するのではないかなあ。詳細がわかったらまたお知らせします。
そして、せっかく三鷹に来たので、と『江ぐち』へ。
久住さんの日記で後継者の若者が登場したのを知り、行きたくて行きたくて仕方がなかったの。見てきました(←食べてきた、でしょう?)。居ました居ました。思ったとおりの好青年。スポーツマンっぽい。体格もよく頼れる感じ。麺をまとめられないとか、スープはその量でいいの?とか、例の味の素みたいな謎の調味料、不公平すぎない?とか、のハラハラ感はあるけども、そのまとまりのないドンブリ内の様子がまた『これから感』満載な感じでほほえましく、お客さんの視線が彼に集中してるのがひしひしと感じられた。
で、味がよくわからなかった。江ぐちってどんな味だったっけ?こういう味だったっけ?
もう少し経った頃、また行かなければ。
それから、江ぐちの隣の貼り紙喫茶『リスボン』から貼り紙が消えていました。こうして、少しずつ江ぐち周辺が新しくなって行くのでしょうか。