『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:581] 2005年12月31日(土) 19:20
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それはさておき、ひょんなことからお知り合いになったとある人と話していたら、まわりの人とかお店とか時間とかが偶然にものすごいつながり方をしていて、面白かった。話せば話すほど、知れば知るほどポコポコ偶然が出て来る。そのどれもが直接重なってはいないのに、今までの十年ぐらいでなぜ一度も関わりがなかったのか不思議なほどのニアミス。こういうのって、もしどこかでなにかのタイミングがちがっていたら十年ぐらい前にとっくに知り合っていたんだろうけど、そういう出会いが今になってある、というのが本当に面白い。世の中にはそうやって、「とっくに知っててもおかしくないのに、まだ知らない人」がきっとあちこちにいるんじゃないんだろうか。
今年は『おせっかいカレンダー』がそういういろんなよい出会いをさせてくれた。おせっかいカレンダーを聴いてくれた人が、なんとなくメールをくれたり、ライヴを観に来てくれたりして、中でもアルバムを聴いてすごくおもしろがってくれた人などと話していて糸をたどっていくとどんどん「あれ?え?そうなの?」ってことが出て来てつながってたりした。そういう出会いは本当にうれしい。それだけ長く生きているってことでもあるかもしれない。ケド。