『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:351] 2005年01月10日(月) 15:20
セロファン、西村哲也、ジャック達というイベント。
セロファンは久しぶりなのと、ドラムが中原さんになってはじめて見たが、相変わらずのひねくれポップスですごく楽しかった。中原さんは9コンパスというバンドで活躍する年頃の乙女だが、さすがに「空手バカ一代」を愛読し、大山倍達を敬愛するだけあって女だてらにどしょっ骨と腰のはいったドラミングでセロファンのメンバーを手玉にとっていた、いやちがう、がっしり支えていた。かっこいい。
西村さんのしめった砂ぼこりのような世界、一色さんのすばらしい演芸ポップスと、それぞれほんとに独自のカラーが炸裂していて楽しいイベントだった。久しぶりの人にもたくさん会った。
帰りの電車で、泥酔状態の30歳ぐらいの女の人が前に立ったが、コートもバッグもかなり汚れていて、鼻をほじったり、歯の掃除をしたり、その上パンを食べたりで結構閉口した。しかしバッグからとりだしたベタベタに汚れたトルーマン・カポーティを妙に真剣に読んでいて、でも読んでいるかと思えば動かないので、寝てるのかと思うと目は開いていて、ほんとに酔っぱらっちゃってるんだな、という感じ。あの人はこのことを覚えてるんだろうか。お酒にめっぽう弱く、あんなふうに酔っぱらうことができない身としてはとても不思議だった。