『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:339] 2004年12月10日(金) 17:09
という感じで、私がいかにこのところひきこもっているかがわかっていただけると思うのですが、ようやくベーシック作業のメドが立ってきて、これできっと来週あたりには人のライブを観にいったり、オムライスを食べたりできるようになるかもしれない。
きのうの外出は近所のドラッグストアへ紙類(ティッシュペーパー、トイレットペーパーなど)を買いに行っただけだけど、この寒い師走に家からトイレットペーパーを切らすことなく過ごせると思うと非常に満ち足りた気持ちにもなるってもんです。
しばらく前からティッシュペーパーが最後の一箱に、そしてトイレットペーパーは最後の4個ぐらいになってもう気が気じゃなかった。前にも書いたような気もするが、私はトイレットペーパーティッシュペーパーをはじめ、コピー用紙、メモ用紙、封筒、キッチンペーパー、コーヒーフィルターなど、家中の『紙類』を切らすことがとってもとってもきらい。ちょっと気がおかしいぐらいなくなることがいや。っていうか、紙類が好き。どこかへ出かけると、どうもうっかり使いもせんのに色画用紙や色紙やテーブルナプキンを買うふしがあるし、トイレットペーパーは棚をあけるといっぱいつまっているとうれしい。お前はオイルショックか、とたまに自分でツッコんでみることもあるが、どうもそのようです。でもキッチンペーパーにはすごく好みがあって、そんなに好みがあるんならまっさきにそれを買うべきだが、意外とすぐそれを忘れてちがうのを買ってしまってすごくショックだったりすることもあるので、本当に自分はおかしいんじゃないか、と思うこともたまにあります。
トイレットペーパートイレットペーパーと思ってキッチンペーパーを買ってしまったり、絹ごし絹ごし、よしこれは絹ごしだな、と思って木綿豆腐を買ってしまったり、話しはそれますが、本屋さんで文庫の棚をみていて、手にとった本を広げると「あれ、ずいぶん題名とはかけ離れた内容だなあ、ふーん」となって、よく見るとそれは手にとりたかったのの隣の本だったりする、ということもたまにあります。前テレビでそういうのはナントカっていう病気の前触れだといってたような気もして、気になるのですが、なんなんでしょう。心配です。