『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:326] 2004年11月16日(火) 23:23
[link:325] 2004年11月13日(土) 14:25
[link:324] 2004年11月12日(金) 23:22
[link:323] 2004年11月12日(金) 00:02
[link:322] 2004年11月10日(水) 00:06
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一軒目は上野の松の湯。古い路地の残る東上野と呼ばれるあたりにぽつーーんと、ほんとに民家に並んであるふるーい銭湯。日が暮れると入り口の電灯がぽっと灯る。暖簾だけの玄関をくぐったら、入り口からすでに男湯と女湯にわかれて入る構造になっている。外にはババ車(おばあさんが押してるやつ)。がとまっている。暖簾をくぐるといきなり『第十回手品発表会』という手描きのポスターが貼ってあって、一瞬いつの時代のことかと思ったが、ぜんぜん今のことだった。街の手品愛好家たちの発表会らしい。しかも十回目。行きたい。中は至って普通。というか、ずっとこのまま昔から来たんだろうけど、そのまま普通に今もやってる。もちろんお年寄りしかいない。最近の銭湯は衛生上の問題か何かわからないが、腰掛けのないところ(必要な人は持参する)が多いが、ここは腰掛けも気前よく積み上げてあり、いい感じだった。いい気分で電車に乗り、二軒目へ。
と向かったが、途中の古本屋に思いっきりひっかかり、手が真っ黒になるまで品定めする。古本屋のおじさんがまた商売っ気がぜんぜんない人で、いろいろとおせっかいに本を勧めるのだけど『いらないんだったら買っちゃいけないからね。ね。でももし欲しいんだったら、それもこれもうんと(値段を)下げちゃうからね。どんどん言ってね。でもいらないんだったら。。。。』とずっと同じことを繰り返していたかと思うと、急に『おじさんちょっと車を動かしに行ってくるから、見たいだけ見てってね。』とどこかへ行ってしまったりした。結局、お目当ての本を次々と半額に負けてくれた。
手が真っ黒になったところで、次に行ったところは北千住にある「梅の湯」。北千住は銭湯の街と言われるぐらい、古くて立派な銭湯がたくさん残っていて、銭湯マニアにはたまらない街のようだけど、私は別に古くて立派な銭湯にはそれほど興味はない。もちろんそういう立派な所は所で素晴らしく、日本の文化の一端だと思うが、そういう意味で方々でとりあげられている銭湯はもういい。私が行きたいのは、ずうっと昔から昔のままのスタイルで営業し続けていて、あくまでも地元の人が毎日通う銭湯。別に立派な唐破風がなくても、立派な富士山がなくてもいい。という感じで探し当てたところがこの梅の湯で、ここもそうとう古いが、ぜんぜんその古さ立派さをウリにしてなくて、場所もすごくわかりづらい。行ってみると煙突は見えるのに入り口がなかなか見つからず、周りをぐるぐるまわってやっと入れた。玄関の外にはやはりババ車。戸にはここにも「ナントカお楽しみ会」のポスター。出演者として写真のあるマジシャンや演歌歌手も誰ひとり知っている人はいない。入ると、お風呂の中では、早々に出ようとする私たちにおばあさんが『あら、あなたたち、もう出るの?私なんかは30分は絶対入るわよ。』などと話しかけてきたり、
脱衣所では番台のおじいさんが、いつもばあさんの裸ばかり見ているせいで、私たちなんかでもマシなほうなのか、終始チラ見していたりで面白かった。下町のお湯は、噂には聞いていたけどやっぱり熱いねえ。