『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:325] 2004年11月13日(土) 14:25
[link:324] 2004年11月12日(金) 23:22
[link:323] 2004年11月12日(金) 00:02
[link:322] 2004年11月10日(水) 00:06
[link:321] 2004年11月08日(月) 23:20
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いろんな人の日記で「はじめの2分で号泣」「開始から20分ですでに号泣」など恐ろしい文章が並んでいたので、どきどきしながら観たが、私の場合、おそろしく号泣、というところはなかった(いや、なかったというのは嘘か)。が、反対に最初から終わりまでずううっっっと涙腺がゆるみっぱなし、という感じだった。おじい(レギュラーでやってた頃に死んじゃった)が前に編んでくれた草履がアップになってはウルウル、なんにもない空と海と牛が映ってはウルウル。しかしそんな中、今回手術を受けるであろう人物が番組前半から早々とその兆しを見せていて、しかも原因の病気も見当がつき、いつその人が倒れるのかかなり長い時間ヒヤヒヤしながら観なければいけなかったのが苦痛だった。その割に実際倒れるシーンのなんと長いことか。もう倒れるってずっと前からわかってるんだから、さっさと倒れて早く手術にとりかかってくれ!と思いながら、手術中は終わりを部屋の外で待つ小林薫の気分だった。ああ、これはつらい。後半はウルウルから「レギュラー泣き」モードへ切り替わり、以後ずっと泣いていた。言っときますがまだ「号泣」ではないです。