『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:290] 2004年09月17日(金) 15:11
[link:289] 2004年09月17日(金) 14:39
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[link:287] 2004年09月10日(金) 18:33
[link:286] 2004年09月10日(金) 15:11
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「田所せいじの世界」にゲストで呼んでもらって何曲がやった。田所くんはいつもひとりでふら〜〜〜〜っとやっているが、その歌にはすべてが詰まっている。でもその歌には何の気負いもない。しかしながら「ああそういうことだよな」と思わせる説得力があり、その歌う様と彼の歌はまったくもって彼そのものというびっくりするような単純明解さで聴く人を拍子抜けさせてしまう。全く誉めているように見えないかもしれないけれど、これはすごく誉めているのです。ほんとに彼はなんというか、例えるなら、気がついたらすごいこんなポスターいつから貼ってあったっけ?でもここにこれが貼ってない時が想像できないからもう私が生まれる前から貼ってあったかもね。みたいな野球選手のポスターとか、なんかわかんないけどずっと家にあってそれ聴くと何もかも全部思い出しそうになるカセットテープとか、そういう感じ。
あんなに力の入っていない人もそうそういない。しかし浮き世離れしているかというと全くそうではなくて本人的には憧れたり盛り上がったりしていることもよくあるらしく、そのあたりの中途半端な現実感がまたリアルでいいのだ。歌う曲歌う曲ほとんどみんなおんなじだ、と聴く人も皆けなしながら喜んでいる。