忘れ物はないね?

『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の 中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ

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2004年08月26日(木)

24日はmona recordsでライブでした。
急な平日ライブにもかかわらず来てくださったみなさんどうもありがとうございました。
ロムちゃんすどうさんユニット、サポートしてくれた高橋結子鳥羽修組、monaのスタッフやお手伝いしてくれたスタッフのみなさんどうもありがとうございました。

ロムちゃんはしばらく見ないうちにまた一段とよいテルミン奏者になっていた。音楽と一緒に遊んでいる感じがとてもよかったし、彼女のスタイルというか、音楽に対する姿勢というようなものが一段と確立されてきたと思った。あの日のテーマは「くらげ」だったそうだが、すどうさんの天然音楽な感じとよくあっていて、2人ともよくくらげしててよかった(しかし衣装はちょっと天使っぽかった)。

自分のセットでは、今日はカフェバージョンともいえる小編成でのぞんだ。monaののんびりくつろいだムードに助けられて楽しく演奏できた。ただお客さんが近いことと、デジピだったので配置がド真ん中真正面ということから、つい距離感なくお客さんに話し掛けたり掛けられたりということが起こり、テンションも妙な感じに。私はその変わったムードが楽しくもあったが、変な人だったかも。パーカッションのけっちゃんはまたまた鍵盤ハーモニカ、グロッケン、コーラスなどなど次々を技を繰り出してくれ、大活躍だった。
ゆわくち軍団のみなさんごと遠征するのはいろいろと大変なのだが、このぐらいの編成だと名古屋や京都ぐらい気軽にいけそうな気もする。行っちゃうか?

で、無理矢理アンコールをお客さんに押し付け、チアキテル。この2年間のロムちゃんとの差は歴然、笑ってごまかすしかない感が漂う中、やはりアクシデントが次々と襲ってきた。鳴るはずのものが鳴らない、テルミンがゆるーくまわっていく(とめネジが緩かった)、など、曲の途中では「ここはどこ?私はだれ?」みたいになってしまった。そうなるとテルミンはどこにも何も軸となるモノや音のない楽器なので、もう収集はつかない。お互いが相手に合わせようとしてよけいにズレていく。地獄だ。汗が滝のように流れる。しかしそんな状態にもかかわらず、リピートして戻ったところから奇跡的にまた合ったのが余計おかしくて、今度は笑いがとまらなくなった。しかし笑っているヒマもなく、足の刻み、ハーモニカ、又は声ハモなどがあり、気が狂うかと思った。見ているお客さんも、張り詰めたり爆笑したり大変だったと思う。たった3曲だったが本番の魔物に見事にやられてしまった。悔しい。リハではできたのに(言い訳)!チアキテルの実力はこんなものではない(とは言ってもそんなに大した違いがあるわけでもない)!。リベンジをしたいところだが、チアキテルは対バンやアンコールには向かない。セッティングや準備が大変すぎるからだ。チアキテルはワンマン向きだ。しかしワンマンをするだけの曲も力もない(それでも第一回チアキテルはワンマンだった)。しかし必ずリベンジする。そしてみんなを「あっ!」と言わせたいチアキテルである。どちらにせよ、長時間ライブにつきあってくださってみなさんどうもありがとう!

[link:282] 2004年08月26日(木) 16:54


2004年08月30日(月)

8月の終わりに突然友人が亡くなった。いろんな人と電話でやりとりをして、お葬式に参列した。その人が急にいなくなってしまったという実感は告別式に出てさえもわかず、なんだかぽかーんとしてしまった。故人の人柄から、たくさんの人が遠くや近くからお別れに駆けつけていて、そのおかげで長い間会うことのなかった友人たちと再会もできた。久しぶりに挨拶をかわすのがこんな悲しい場だということにはとても複雑な気持ちだったが、これもその亡くなった友人がみんなと会わせてくれたんだな、と思うことにして、近況など報告しあった。言われ尽くした平凡なことだけど、「いなくなってもみんなの心の中には生きている」というのはほんとにこういうことなんだな、と実感する。心からご冥福をお祈りします。

[link:283] 2004年09月01日(水) 14:28


2004年09月06日(月)

ぼや〜っとしているうちに台風が来たり地震があったりして、もう9月になってしまった。
8月のお盆あたりに最後の一匹が死んじゃって誰もいなくなった(!)鉢に、おなじみRomちゃんから新メダカ約15匹をもらった。中には2mmぐらいの小さいの5匹ぐらいと高価だと言われる黒メダカも2匹いる。「黒いのは高いだけあって弱い」と言われて、ちょっと緊張したが今のところみんな元気に泳いでいる。今まで飼っていたメダカには特にエサをやるというわけでもなく、鉢の中の水草などにまかせて自然のままにしていた。それが3年も生きたのだから、なんとたくましかったことか。しかし、今回はほうぼうから「やはりメダカのエサをやるべきだ」と言われて、メダカのエサをやっている。一回にひとさし指の先にぴっとりとくっつくぐらいの乾燥餌を1日おきぐらいにやっているが、最近網をめくってのぞくと「エサだ!」と思うらしく、ものすごい勢いで水面に全員があがってくるようになってしまった。こちらとしてはそれが切なく、思わず「ああもっとお食べ、もっとお食べ...」ということになってしまう。つまりちょっとやり過ぎに。この「エサのやり過ぎ」は水の汚染につながり、かなり死に追いやることが多いので、「ダメだ、ダメだ、」と自分に言い聞かせている。
あと、水草をもう少し買い足そうと近所の熱帯魚屋さんへ行ったらエサはあったが水草はなかった。普段ちょっと怪し気なお店に勇気を出して入ると、入り口のすぐ横に70万円と値札のついたでかい熱帯魚がデーンとおり、その脇のフタのない容器の中でもぞもぞと「ゴカイ」の巨大なやつ(ミミズのとっても太いやつ)が蠢いており、気を失いそうになる。見たところ輸入のとってもとっても高価な魚ばっかりで、メダカに関係するものは一切なさそうであったが、なぜ「メダカのエサ」という商品は売っていたのだろう。メダカは熱帯魚の餌の巨大ゴカイの餌になってたりするのだろうか。そうではないことを願いつつ「メダカのエサ」のみを買い、店を後にした。毎日この餌をやっているので、心無しかうちのメダカも日に日に大きくなっているような気がする。

[link:284] 2004年09月07日(火) 01:26


2004年09月07日(火)

大阪から友達が来て宿泊。
友達の用事がすむ頃を見計らって銀座へ迎えに行く。
来たついでに前々からもう一度行きたいと思っていた築70年の古いビルを探して訪ねてみた。かなり前に一度行ったが、名前も場所も全然覚えてなくて、キーワードだけでネットでいろいろ検索して目星をつけて行ったのだけど、正解だった。そこは旧銀座アパートメントで現在は「奥野ビル」という名前になってギャラリーや会社が細かく入っている。普通に住んでいる人もいるようだ。中に入ってみると記憶していたよりずいぶん狭かった。このビルは古いのも古いのだが、構造もちょっと変で面白い。階段の壁には妙な位置に小窓があって、来た人は絶対皆ここから顔を出して向こう側の廊下に手を振ると思う。あと、手動のエレベーターがあって、以前来た時には動いていたが、今回はやっぱりもう使われていないようだ。ボタンを押してもシーンとしている。乗り場の上に『いま何階にいます』というのを針が指し示す分度器みたいなのもある。友達とへえ、ほお、と言っていると突然ガゴガゴガゴというすごい音がして、針がぎゅーんと動き出した。で、中から普通のサラリーマンのおっさんが扉を手でこじ開けて出て来た。外に私たちが居たので見栄をはったのか、片手で軽く扉を開け(た風を装っ)て出て来たのだが、明らかに身体半分はさまりながら(重い二重扉で抑えていないとすごい力で閉まろうとする。)出て来て、しかし何ごともなかったようにサーッと行ってしまった。その後すかさず私たちもエレベーターに乗ってみる。このエレベーターはどうやら1階と6〜7階を往復しているだけで、途中の階では乗れないし、ボタンを押して呼ぶこともできないようだ。だから分度器の針が1階にあれば1階に、7階にあれば7階にエレベーターがいるということだから、エレベーターのいる階で直接扉をあけてとりあえず乗る。乗ってからボタンを押すというしくみだ。実際の乗り心地はとっても怖かった。外側に見える壁があまりにも直接的で、すぐそこ通っているワイヤーの古さと細さが空気を張りつめさせる。そこらへんのジェットコースターとかよりよっぽど怖い。いつか切れる、コレ。いつか。
帰宅してさんまと栗おこわで晩ごはん。しかし途中で急に胃が痛くなり食べ進むことができなくなった。一体何が起きた?とりあえず横になり、約2時間後回復。マンハッタンラブストーリーの再放送を観て(また観てる!)就寝。

[link:285] 2004年09月10日(金) 14:50


2004年09月08日(水)

朝友達を送り出し、その後夕方再び合流。大阪へ帰る前にひとっ風呂浴びてくか!と連れ立って北千住のふるーい銭湯『梅の湯』へ。ここも前々から来たかったところ。北千住は古い立派な銭湯がたくさんあることで有名だが、たいていどこの銭湯もそのことをわかっていて、いわゆる「立派な古い銭湯」的な所(唐破風の入り口とか、ペンキ絵とか)をうまくそのまま残しつつ快適に改装したりしている。そういうところも別にいいのだけど、やっぱりそういうことをしていないほんとに「そのまま」のところへ行きたいなあ、と思い、探して行った。「梅の湯」は「ほんとにそのまま」だった。「古さ」を売りにしてない。なので整理もされていない。古くてボロっちいとこがそのままむき出し。もちろんところどころ修理や補正の跡が見られるが、脱衣所のマッサージ椅子の「揉み手」にも変なストッキングみたいなのがかぶせて補強してある(まちがった修正)し、トイレの床はニスを塗ってピカピカに光らせすぎ(まちがったリフォーム)て、一瞬水びたしに見えるし(友達は水だと思って靴下を脱ぎに戻って来た)。そしてここの最大の特徴はペンキ絵ではなくタイルモザイク。それもオランダかどっかよくわからない外国の風景がのどかにモザイクになっている(創業当時かららしい)。そしているのはおばあさんばかり。口をもぐもぐさせていたり、友達のおばあさんにパンツを履く介添えをしてもらっていたり、とにかくおばあさんの社交場だった。番台のおじいさんずっとこっち見てるし。
というように、懐古趣味がどうの、とか残したい風情がどうの、とかいうようなものをまったく無視した梅の湯が私は大好きになりました。

[link:286] 2004年09月10日(金) 15:11

2003年6月16日までの日記


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