『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:253] 2004年07月12日(月) 23:50
[link:254] 2004年07月15日(木) 01:29
[link:255] 2004年07月16日(金) 21:24
[link:256] 2004年07月16日(金) 21:33
[link:257] 2004年07月18日(日) 22:34
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すごいイイ。素敵。さすが。発売情報がちゃんと整ったらお知らせしますので、これを読んでフフフ...なんて余裕の笑いをうかべている人は絶対買ってください。絶対。
きのう写真撮影が終わってからちょっと三鷹に寄り道し、何年ぶりかで『中華そば江ぐち』へ行った。つまり『江ぐった』。この店についての深い考察と数々の思い込み思い入れを綴った久住さんの爆笑エッセイ『小説中華そば「江ぐち」』を読んだ人にしかわからないかもしれないけど、読んだ人にはわかるなんとも言えない『あ、コレコレ、このイスイス。タクヤタクヤ...。化学調味料ザーッって..。あ、麺、ちょっとそりゃ不公平?』みたいな数々のイベントを久しぶりに目の前で堪能した。観察のハイライトである「麺の湯きり〜どんぶりへ投入」は相変わらず、ぜんぜん上手になってなかった(決してバカにしているのではありません。安心した。)し、味がテキトーに薄かったり濃かったりの個人差があるのも変わってない。いやむしろ差は大きくなってるような...。でもそんな江ぐちの魅力にハマッたヒトは、そんな江ぐちであればあるほど江ぐち惹かれ、フラフラと足を運んでしまうようで、店は混んでいた。なんかこう書くと江ぐちがあまりおいしくないようだが、そうではない。江ぐちの中華そばはとてもおいしい。麺もシコシコの四角面でスープはスタンダードで飽きのこないしょうゆ味。『タケノコ』と呼ばれているシナチクもおいしい。ただ、たまに、まれに、おいしくない時がある。でもおいしい江ぐち(つまり「アタリ」と呼ばれている)を知っている人はハズレても次回は絶対アタリじゃないか、と思って何度も足を運んでしまうらしい。
ちなみに私のこの日は「ちょっとハズレ」だった。味がすごい濃かった。並べられたドンブリにテキトーに入れられる「タレ」がたぶんドボッと入ったやつになっちゃったんだと思う。隣で食べていたSさんは『味がないかと思うぐらい薄かった』と言う。そして更にもう一人は『ちょうどよかった』。これが江ぐちの魔力。
三鷹駅にはストリートキーボーダーがいて、大きなキーボードを地面に置き、ストリングスとピアノ(のスイッチ)をとりまぜてダラララララララ〜〜〜♪と弾けるだけ弾きまくりますという感じの豪華な曲を披露していた。
こういうクラシックでもないけどポップスでもなくて、フュージョンでもなくて、どっかの地方博覧会の「自然を表現」するパビリオンでかかってるみたいな音楽って何ていうんだろう?とにかくそういう音楽を一人キーボードでやってた。でも曲はやたらとゴージャスなサビに次ぐサビで、どんな曲なのかは一向にわからない。とにかくずーっと見せ場のような曲。しかし彼なりに決まった見せ場はあるようで、曲のある箇所でダララララララ〜と弾きのぼり、高音域でチャラララリラリラ〜とかやる時に前髪の隙間からチラッと通行人を見る。と思ったら、プリセットをすばやく切り替えて右手はストリングスがシャーーシャーーー、左手ピアノ伴奏。
めくるめくような演奏でした。