忘れ物はないね?:2004-05-23

『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の 中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ

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2004年05月23日(日)プチ長期空白その二

その『GUIRO』が対バンしたのは『筆おろし』という女の人スリーピースのバンドであった。
これがまたスゴくて、本当にびっくりした。どうすごいのかというのは全然説明できないのだが、自分とは全く対極にあるものだが素晴らしいもの、という表現が一番しっくりくる感じ。えーと、なんだろうな...わかんないや。ともかくすごいものを観てしまった感じです。ライブだからああなんだろうか。CDとかはどうなんだろうか?でもあの感じはCDでは味わえないような気がする。やっぱライブだな。ライブをもう一度観たい。

[link:221] 2004年05月25日(火) 01:41


2004年05月23日(日)プチ長期空白その一

どこでサボっておったかというと、名古屋へ行っておりました。おもな用事はいとこの結婚式や親戚の赤ちゃんが生まれたお祝い、友達のライブなどでした。そのライブというのは『GUIRO』という、友達の高倉一修がやっているバンドのライブだったのですが、長年にわたりタイミングが合わず見られないでいたのをようやく観ることができたんでした。
この高倉くんというのは、十代というもうずいぶん昔からの友達で、それぞれの音楽的趣向というか、作っている音楽の傾向はかなり異なっており、私が東京に住む今はほとんど会うことも連絡を取り合うこともなく、お互い黙々とわが道を行っている同士なのですが、私がザボンドボンの更に前身のガレキ・ド・カンカンというバンドをはじめた頃から、一番身近でおなじように音楽をやっていた人なのでした。
音楽的には彼がどんどん洗練の一途を進む一方、私はどんどん泥んこ世界(←?)へ自分の歩を進めて現在に至るわけですが、その間、幾度となく励ましあったり蹴とばしあったりしてきたものです。
....などというような、いわゆる少し感慨深いものも思い出されたりして、久しぶりに観たGUIROのライブはとてもよいものだった。マイペースぶりは全く変わっていないところもよい。相変わらず、難しいことに取り組んでいるなあ。音楽がとても好きな人たちはとても好きだろうが、そうでもない人には全然うけないだろうというところも、素晴らしいライバルの足を少しでもひっぱってやろうと企む私としてはシメシメと思うわけである。興味があっても決して検索しないように。

[link:220] 2004年05月25日(火) 01:32

2003年6月16日までの日記


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