『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:220] 2004年05月25日(火) 01:32
[link:219] 2004年05月17日(月) 21:31
[link:218] 2004年05月17日(月) 16:46
[link:217] 2004年05月17日(月) 01:12
[link:215] 2004年05月13日(木) 14:54
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この高倉くんというのは、十代というもうずいぶん昔からの友達で、それぞれの音楽的趣向というか、作っている音楽の傾向はかなり異なっており、私が東京に住む今はほとんど会うことも連絡を取り合うこともなく、お互い黙々とわが道を行っている同士なのですが、私がザボンドボンの更に前身のガレキ・ド・カンカンというバンドをはじめた頃から、一番身近でおなじように音楽をやっていた人なのでした。
音楽的には彼がどんどん洗練の一途を進む一方、私はどんどん泥んこ世界(←?)へ自分の歩を進めて現在に至るわけですが、その間、幾度となく励ましあったり蹴とばしあったりしてきたものです。
....などというような、いわゆる少し感慨深いものも思い出されたりして、久しぶりに観たGUIROのライブはとてもよいものだった。マイペースぶりは全く変わっていないところもよい。相変わらず、難しいことに取り組んでいるなあ。音楽がとても好きな人たちはとても好きだろうが、そうでもない人には全然うけないだろうというところも、素晴らしいライバルの足を少しでもひっぱってやろうと企む私としてはシメシメと思うわけである。興味があっても決して検索しないように。