『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:219] 2004年05月17日(月) 21:31
[link:220] 2004年05月25日(火) 01:32
[link:221] 2004年05月25日(火) 01:41
[link:222] 2004年05月25日(火) 19:06
[link:223] 2004年05月25日(火) 19:13
k-diary script by Office K.
※このページの更新情報はlastmod.txtより取得できます。
今日駅前を通りかかったら、大音量で『やだネったら(やだネ!の声をうながす)、やだネったら...』とどうやら生で歌ってるらしき様子が風にのって流れてきた。
何ごとかと思ったら、ぜんぜん知らない股旅姿の演歌歌手が駅前ロータリーにボロボロの営業カーで乗り付け、熱唱しているところだった。が、氷川きよしの歌が終わったと思えば、次は股旅姿に全然似合わないラブバラードみたいな歌がはじまり(たぶんヒトの歌)、肝心の自分の歌は一向に歌わない。結局、立ち止まっていた時間が短かったせいもあるが、その人の持ち歌は聴くことができなかった。しかし、ああいう遠ーくな感じでつめたーくひやかし見してる野次馬の前で、股旅姿でにこにこと『みなさーん、元気ですかー?あ、おかあさん、調子どう?』なんてやってきて、あれだけ朗々とラブバラードなどを歌い上げ、酔いしれることのできる根性はさすがだ。鍛えられてる。同じ路上で歌うにしてもストリートミュージシャンとはまたぜんぜん違う。ストリートミュージシャンはそれなりに『自分たちの何かに共感し、それを共有してくれる人』というのを求めてるんだろう、という印象をうけるのだけど、演歌はまさしく大衆が相手な感じ。じいさんばあさんからこどもまで、聴いてください、この歌を、みたいな。しかもその歌を聴いてもらうために、客寄せで売れてる他の歌手の歌ばんばん歌っちゃう。そりゃあ根性なくてはできないだろうなあ。
しかしその甲斐あってか、すれ違った女子高生は電話で『いまさー駅前で助さん格さんみたいな人が熱唱してる〜。チョーうけるんだけど』とかしゃべってた。