忘れ物はないね?:2004-04-25

『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の 中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ

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2004年04月25日(日)

更に思い立って、東武動物公園に行ってみた。
まわりを畑と野山にかこまれたのどかなところにあるそこは、日曜日にしては人出も少なく、広い駐車場に都内のナンバーの車はほとんどいない。園内はほどよい広さで、何よりも動物が近い。各動物舎が狭いという意味ではなく、観客から檻がなんとなく近い。ポニーやひつじやヤギやうさぎやあひるやミニブタなど、触れあっても害のなさそうな動物はできるだけ触れあわせて動物とヒトとの門をできるだけ広く開けていようとする姿勢も見える。こどもどうぶつえん的な触れあいの場以外にも、園内を鼓笛隊とヤギやひつじやアヒルやポニーが列をなして練り歩くパレードなども時折やってくる。でもそれが動物がかわいそうな感じがあまりなく、アヒルなどギャーギャー言いながら集団で行ったり来たりしていて、なんか自由にのびのびとヒトと動物が暮らしているような感じがよかった。オットセイのステージなどもあったが、オットセイのケープちゃんがただ一匹がんばって芸をしているのみで、同じステージのプール内をただ泳ぐだけのアザラシ(野放し)がいて、そいつに邪魔されてオットセイが失敗したりもしていた。偏見なのかもしれないが、なんとなく全体的に「洗練された都会の動物園」の対極にある動物園のような気がした。私はそういうの大好きです。
帰りに「ゴリラの鼻くそ」という黒豆の甘納豆をお土産に買った。

202.jpg 240×320 (original size)

こひつじに干し草を食べさせてみる。中には毛刈りされて血のにじんでいる痛そうな羊もいたが...。

[link:202] 2004年04月26日(月) 00:36

2003年6月16日までの日記


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