『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:185] 2004年03月24日(水) 23:04
誕生日というと、たいてい身内や親しい友達とごはんを食べたり、あとはプレゼント交換をしたりフルーツバスケットやハンカチ落としなどをしたりして過ごしている(嘘)気がするが、意外とその日何をどんなふうに感じたかとか、どういう気持ちになったとかというのはそんなに覚えていないことに気がついた。そもそも私は年齢に節目的なものとか感慨深いものとかを何も感じてないので『ああ、二十代最後か...』とか『ああ三十路か...』とか思った記憶がぜんぜんない。20歳になる時も、25歳の時も29歳の時も30歳の時も33歳の時も(あとほかの年齢の時も)特に何も思わなかった。28歳の時などは親に年齢をまちがえられ、(サザエキャラで名高い)母から『お誕生日おめでとう。あなたももう30歳ですね』などという感慨深げなメールが来てひっくり返ったものだ。今日、34歳になったが、それはそれでやっぱりなんとも思わない。
何週間か前に、やはり3月生まれの親しい友達と『お誕生ごはん会をやろうね』と約束はしていたもののそれは今日ではなく、『誕生日当日はひとりごはん』と予測していた数日前から、私は24日はひとりで何か計画をたてて実行しようと決めていた。普段、私は食べ物屋さんにひとりで入ることができない。スタバとかミスド(なぜ略す?)は別として、ごはんを食べる類いのお店にはひとりで入れない。だからいっそひとり焼肉、ひとりステーキ、ひとり鰻、またはひとりディズニーランド、ひとりスケートリンク、ひとりボーリングなどのレジャー系、つまり、一人で、日頃ひとりじゃなくてもあまりやらないことをやってみたら楽しいんではないか思ったのだ。
しかし、実際の今日は家で仕事をしていた。雨も降っていた。そんなわけで、私は思い立って『ひとり回転寿司』を実行した。家の近くのネタがよくてわりと美味しい回転寿司にひとりで行こう!とはいえ、どうしようどうしよう、と迷っているうちに時間が経ってしまい結局実行したのは8時半頃だった。お店に入ると店内はいい感じでイスが埋まっていた。私は回転寿司でお寿司以外のメニューを頼んだことが無かったので、今日はそれもしようと心に決めていた。で、まず『本日のお味噌汁』というのを頼んだ。すると『今日はシジミ汁です。はい、しみじみ汁。』と思わぬところからいきなり来た。更に『きょうはしみじみ汁です。いかがですか、しみじみ飲んでください。』と他のお客さんにもしみじみ汁のアピール。笑おうかどうしようか迷っているうちに隣のおじさんが帰って行った。その後も、時間が遅めだったこともあって私が座ってからほぼ10分以内にお客さんが次々と帰っていった。で、あっという間に私一人になってしまった。お店のおばさんに『お客さん貸し切りですからごゆっくり召し上がってください。』などといわれ、ゆっくりしみじみ汁をすすっていると、店内に流れていた有線から突然たまの『さよなら人類』が聴こえてきた。私がじっと耳を傾けていると、お店のおばさんが『あ、この曲なつかしい』と言い、おじさんも他の店員の人も『なんだけっけ?たま?だっけ?』『ああ、あのちょっと怪しかった(笑)バンドだあ』『そうそう、でも紅白とか出たよね』『なつかしいなあ....』などと話し出した。私がたまの知久くんたちと初めて知り合ったのはもう12年ぐらい前だったかなー。さよなら人類はいろんな意味で衝撃的だった。あのさよなら人類の頃、『今日人類が初めて木星に着いたよー。ピテカントロプスになる日も近付いたんだよー。』という歌詞のとおり、私もまた初めて木星に着いたばっかりの生き物でまだまだピテカントロプスにもならないような自分だと思っていた。でも今思うと、あの時は木星にもまだ着いてなかったなあ。.....などと思いながらウニを食べた。そして珍しく、生まれてからちょっとこの間までのことを振り返ったりした。
木星に着いたのはまだようやく去年ぐらいなものだ。というのも今の思い込みで、ホントはやっぱりまだ到着もしてないのかもしれないけど。まあともかく、33歳の一年もいろんなことがあった。たぶん人並みに楽しいこととかつらいこととかがあった。言葉にできない悔しさとか、言うのがちょっと恥ずかしいような決意のようなものとか。そこでなんとなくうっすらとわかってきたことは、『悔しいことや悲しいことの後にはたいていうれしいことや楽しいことがあり、うれしいことや楽しいことの後にはたいてい悔しいことや悲しいことがある』ということだ。いつもそれをくり返している。だから、こうやってやっていくしかないなあ。という極めて当たり前のことだ。
でもそういうことがひょんなシチュエーションで確認できたのがとてもよかった今日のしみじみ汁だった。
今日は34歳という年齢もわりと中途半端だし、回転寿司だし、ある意味誕生日っぽくない誕生日だったけど、私にはこの先何十年の中でも、きっとわりと『忘れにくい誕生日』になりそうだ。
お祝メールやお手紙をくれた家族やお友達、どうもありがとうございました。
今日食べたもの
しみじみ汁、イワシ、ほたて、あぶりビントロ、あぶりトロサーモン、上あなご、ウニ、大蒸し海老。しめておよそ1500円。