『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:130] 2003年12月28日(日) 15:11
[link:131] 2003年12月28日(日) 15:35
[link:132] 2003年12月30日(火) 23:43
[link:133] 2003年12月31日(水) 16:08
[link:134] 2004年01月08日(木) 22:08
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ということをしているうちに、そういえば学生時代、学祭で使う『大きな鉄製の骨組みだけの四角柱』というやっかいなものを自転車で運ばなければいけなくて、枠のみなので、そのほとんどが『持てない空間』で困った。歩いて運ぶなら枠の部分を持てばよいが、自転車にしばりつけようとすると枠から枠の幅が大きすぎるので全然だめ。もちろんカゴとかに入るようなモノでもない。しかたがないので、自転車にまたがり、枠後ろを自転車の後ろにくくりつけて、そのまま斜めに自分のほうへ倒し、枠の横から手を出して、つまり『その枠を着た状態』で早朝の街を走り抜けた。自転車は早くて徒歩より便利だけど、こういう時に困る。
また別の日にはおばさんが自転車の後ろの荷台にでかいポリバケツ(買ったらしい)をかぶせた状態で乗せていて、信号で止まってバケツをとったら中に子供が乗っていたのも見た事がある。みな苦労しているのである。