『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の
中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ
[link:115] 2003年12月04日(木) 23:38
[link:116] 2003年12月06日(土) 01:26
[link:117] 2003年12月08日(月) 01:00
[link:118] 2003年12月08日(月) 01:04
[link:119] 2003年12月11日(木) 01:04
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を読んで私も井の頭公園にあるという「リスの小径」にどうしても行きたくなり、ちょっと煮詰まっていたこともあって突然だが行ってきた。井の頭公園自体はじめてだったのだけど、あんな動物園があるとは知らなかった。しかも平日だからか、すごく活気のない地味なところで楽しかった。動物たちは寒いからかちょっと元気がないように思えたが、何十匹もの日本栗鼠が放し飼いで飼育され、生態が研究されているという「リスの小径」では本当に何十匹もの栗鼠が冬眠もせずものすごい速さで走り回っていた。切り株の上で両手で胡桃を持って食べていたり、ニボシとかも両手で持って丸かじりしてたり、本当に絵に描いたような栗鼠の図なのがあまりにリスっぽいので笑ってしまった。
じっと座っていると登ってくる。
実は「リスの小径」に行きたすぎて、ゆうべ夢に見たのだが、夢の中ではせっかく公園に行ったのに「リスは冬眠中です。」といわれてがっかりしていると、芝生に開いたゴルフの穴みたいなとこからドドドッとリスがたくさん出て来て、肩とかにも登ってきてうれしかった。その肩まで登ってくる感触があまりにもリアルだったので、そんなにリアルにリスと遊ぶ夢を見たんならもう実際に行かなくてもいいじゃん、とも思ったが、やっぱり行って本物を確認してきたというわけだ。本当に肩に登られた感触は、夢で見たよりずっと軽かった。