忘れ物はないね?日記2001.11.15〜11.25
11月25日(日)
曲作り、およびテルミン。そして来客。
仲良しのPちゃんがお着物をきて来訪。いろいろ話す。
ごはんを食べに近所のおそば屋さんに行くと行列しており、並んでお店
に入るタイプと入らないタイプに分けるとすると、私もPちゃんも全く
並んでまで入らないタイプなのであっさり断念し、ブラーと歩いている
と、家の近所のわりには今まで行ったことなかった裏道に突然『川口食堂』
というのれんが見えた。
近付いてみると絵に書いたよりさらに庶民的な感じの大衆食堂で、中には
カウンターで労働者風のおっちゃんが二人昼間っからビールを飲んでいる。
興味をひかれて入り、焼肉定食と茄子味噌定食を注文する。
お茶も濃くておいしく、ごはんもふっくらおいしく、お新香もたっぷり
おいしい。
先客のおっちゃん二人連れはかなり濃い感じだった。
兄貴分ぽいほうのおっちゃんがやたらとビールをすすめて来て、『おネエ
さんたちどっから来たの?こいつ(もうひとりのほう)女ができなくて困っ
てるから誰か紹介してやってくれやー』とか『しかし、こうやって若いお
ネエさんがこんな店に来るとはおどろきだねえ、ね、オヤジうれしいだろ?』
などとしつこい上に『若いおネエさん』を連発し、挙げ句には『おネエさん
たちなんかまだ自分でご飯なんか焚いたことねえんだろ?花嫁修行でやる
んなら薪かワラで焚けるようになっといたほうがいい。』って、私たち
一体何歳に思われとんねん、って感じにノリノリで、まさか30代とも言えず
(なんかおっちゃんの夢をこわすような気がして。)、え〜、焚けるよ、
ねえ〜?なんてよくわかんないキャラ(おっちゃんの描く若い女像)を
演じてあげてしまいました。
その横で弟分ぽい気弱そうなおっちゃんが『もーヤメロよ〜、ビール
そんなにしつこく勧めんなよ〜』などと小声で言っていて、まるで寅さん
の1シーンにトリップしたようだった。時代感とか、ちょっとお色気っぽい
ヨッパライの絡み加減がかなり面白かった。
でも私も友達もあと5歳若かったら、マジで無口になってたかもしれない。
30代でよかった。友達なんて笑いながら着物で焼肉定食パクパクいって
るし。
が、寅さんを流して店のおじさんに話をふると、急に『私は42で脱サラ
して、ここに店を出して30年になりますけどね、じつはサハリン生まれ
のサハリン育ちでしてねー、来年あたり妻とね、稚内ぐらいまでは
もう一度行きたいなあ、なんて話してるんですよ。』
と言い出した。
するとそれを聞いた寅さんが急に神妙になって『ああ、それは絶対行っ
たほうがいい、行っときなよ、死ぬ前にさあ。俺もね、九州だけどさ、
やっぱさみしいもの。生まれ育ったところはいくら長く離れててもどっ
か自分の中にすごく強く残ってるもんだからさー。』などと言いだして、
それこそ本格的に寅さんみたいになってきた。
なので、寅さんのプチセクハラなどはどこかへ行ってしまい、なんかとても
じんわりしみる日曜の午後だった。
11月24日(土)
徳間ジャパンにいるお友達に誘ってもらい、フリーマーケットに初出店。
生きていると、どうもいらないんだけど、捨てるには忍びないものって
結構出てくる。そういうものを一掃したい気持ちがずいぶん前からあり、
ずっとやってみたかったのです。
まあ利益というのは二の次、とにかくそれを活用してくれる人の手に渡
せる喜びが大きい。私はほとんどが洋服、その他小物。あとはなぜかウチ
に来てしまったモノたち。
お客さんでごった返す往来を見ているだけでもかなり面白かった。
試着をした彼女(日本人)にどう?と訪ねられ、『Ummm〜』などと言
いながらプチプチと彼女にキスをする外国人の彼氏、店先でごっちゃに
並べてある変なキャラクターやマスコット(かなり微妙)で15分ぐらい
『変なキャラ同士の会話ごっこ』をしていったビミョーなキャラ好きの
男子大学生二人連れなど、大変興味をひかれました。
売られているもののほんとに多種多様で、私たちの場所の少し先にセク
シー下着を吊るして売っている店があり、ずっと目の端にチラチラと赤い
スケスケ下着が入って、目の毒(?)でした。
実際には『コレ売れそうだな』と思ったモノが売れ残り、『コレはちょ
っと売れないかも....』と思っていたモノが売れていったりする、フリマ
というのは不思議な場所であることだなあ。
それとも単に私のシュミが少数派なの?
ちなみに私がよそのお店で購入したモノはうさぎの歯が出てるような顔(?)
をしたストロー製のちっちゃいバッグ、日本では見ない感じ。50円也。
11月23日(金)
天気がよいのでスケッチしながら散歩。
それからウーリッツァーで遊ぶ。つまり、いつもの地味な日常。
こんなふうに絵を描くことが楽しくなるとは思っていなかったが、楽しくな
るにつれ、絵を描く時はなるべく頭の中で『これはこういう形だった』と思
って描くのは避けたいと思うようになった。
何かを見て、その時に『そう見えた』ように描きたい。全然技術はないけど
そういうことが私には楽しいのだと思う。
だから一番困るのは人のいろんなポーズ。いやー、だからみんな絵の勉強して
る人はモデルさんをデッサンして訓練してるのかー。なるほどー。
そういえば、最近になってすごく久しぶり古くからの友人とやりとりをした。
ほんとに久しぶりのメールで、私は昔、その友人に『足の指ほんとに短いねー』
などと言っていたことが判明(私は記憶ナシ)。
私にそう言われて以来、その人は人の足の指の長さを見るのが癖になってしま
ったそうです。
と知ったからには、私としてはもう一度そのMちゃんの足の指が見たい。
ちなみに私の足の指はたぶん平均より長い。そしてすきまが空いているので、
子供の頃プールの時に『なんか気持ちわるい』と言われていました。
しかし、自分では足の指5本全開もできるし、小指のみ動かすこともできるので
わりと気に入っています。この前、足でエンピツを持って(手で持つみたいに
足の親指と人さし指にはさんで持った)字を書いてみたら、意外と普通の字が
書けたので驚きました。
11月22日(木)
いろいろあって、ついに『寅さん記念館』へ行ってしまった。
寅さんの実家であるとらやの間取りの模型や、町並みの中途半端な大きさの
再現があったりして、面白い。あの家の模型を見れただけでも行ってよかった。
帝釈天の境内には幼稚園の遠足の親子づれがあふれており、境内の立派そうな
木や石や仏像さまのかこいなどにも子供が登ったり、飛び降りたりして、また
ある子などはスコップで砂利敷きの境内を掘っていたりして、全体的にすごい
砂埃と活気に満ちあふれていた。
ひとりで来たっぽいちょっと内気そうなおじいさんにシャッターを押すのを頼ま
れ、一枚撮ってあげる。
そして夜は豪勢にひつまぶしに挑戦してみた。
私は名古屋育ちだけど、ひつまぶし(うなぎの細かく切ったのをあったかい御飯
にまぜこんで食べる。おかわりをした後はそこに更にだし汁をかけて、お茶漬け
風にして食べる)は後にも先にも原田知世さんのライヴのサポートをした時に
名古屋でひつまぶしを食べさせてもらったっきりで、それがたいそう美味しかっ
たのだけど、どうも家ではそれどおりにはいかなかった。
やはりうなぎごはんの味の濃さとだし汁の味のバランスが決め手だろうと思います。
それから、MANDA-LA2の中野さんと今後のライヴの計画について電話で相談に
乗ってもらったり。
11月21日(水)
熊谷の学校へ行く朝の高崎線で、着物姿のおばちゃん8人連れと一緒になる。
たぶん、全員がお茶の先生とか、先生の一番弟子ぐらいの立場の人と見た。
が、乗り込んで来たとたんに、電車が動き出す前からひとりが全員にチョコレ
ートを配り出し(板チョコひとり一枚)、口々に『あら〜、ごちそうさま〜。
太るわ〜、でもいいのよね、疲れた時にチョコとか一口ぐらい....(まだ朝やろ!)』
と言い合っていたかと思うと、すぐさま別の人が『ひとくち羊羹』をひとり
3個ずつ配り、続いてピーナツ、『水戸なっとうバー』など出るわ出るわ、す
ごい数のお菓子が行き交いはじめた。『水戸なっとうバー』は『おいしくて
はまっちゃう』らしいです。
そして、挙げ句には『朝ごはんは食べて来た』と言っていたのに、ドーナツと
コーヒーで腹ごしらえ。
車内はすごい匂いと、おばさん気流が吹き荒れていました。
そして『あたしたち旅行ね〜』とすっかりごきげんで、一団は熊谷で下車。
結局ずーーーっと一緒でした。コーヒーと水戸なっとうバー.....。
11月20日(火)
このところ夜寒いので、冬用の分厚い布団を出そう出そうと思いながら、実行
できなかったので、昼間に分厚い掛け布団を出す。
カバーをかけたりしていると、突然バフーッとしたくなって、そのままバフーッ
と束の間眠ってしまった。
が、そういう時とか、靴下をはいて寝たりした時に限って悪夢を見る、というの
は世の常で、私も例にもれず、悪夢を見てしまった。人はこれを金縛りと呼ぶの
でしょうか?悪夢プラス金縛りみたいな感じ。
いわゆる金縛りみたいなやつって、実は脳が疲れてたりするとなる、とかいろい
ろ説があるから心霊現象とはやっぱり思えないけど、私も何度かありますが、そ
の金縛り時に声が聴こえたり、身体が宙に浮いてる感じがしたり、といった、ま
あまあスペクタクルっぽいのは高校生の時以来でした。
高校生の時のは、おへそから何か棒みたいなもので身体(寝た状態のままの姿勢)
を水平に吊られて、おへそを中心に身体を回転させられた(ような気がした)金
縛りで、その間ずーっとラジオの無線や笑い声が聴こえていた、という恐怖の一
夜でした。
今日のは、金縛りになって、動けないけど目ははっきり開いている(つもり)と、
部屋の入り口から人の手が出て来て電気をパチ、パチとつけたり消したりするの
です。で、そのうち、私は身体が持ち上がって(ような気がした)、ベッドとは
ちがうところに下ろさせる。なので、私はベッドから半分落ちながら、金縛りに
なりながら、部屋の入り口で電気をパチ、パチとつけたり消したりしている手を
見ているという状態で、ものすごくこわかった。
でも、やっぱり心霊現象とは思えないので、脳にそういう体験をさせられていた
ということでしょう。それにしてもこわかった。
夕方、母と電話で話すと、『今ウチに6万円分のトリュフがあるのよ。』という
ので驚いて事情を聞くと、おばさん(母の妹)の知り合いのお医者さんが、トリュ
フパーティー(というものがあるらしい)を開き、そのお裾分けをおばさんちに
持ってきたが、おばさんはそのトリュフパーティーに出席させられて、トリュフ
のおいしさはまったくわからなかったらしく、もてあましてウチに持ってきた、
ということだった。母が『トリュフってどうやって食べるのか?』と聞くので、
肉の上にパラパラと、とかパスタの上にパラパラと、とか言ったものの、私も
どういう状態のトリュフをパラパラなのか全然わかんないので、二人で、黙った。
で、結局母が『もういいわよ、腐るの待つから。変な匂いだし。』と言い出し、
『お〜ちょぉぉぉっと待ったー!』と止めたが、どうしたらいいだろう?
お金持ちの誰かに売っちゃうとか、ウチでトリュフパーティーを開く(鍋か?)
とか、なんとかしてほしいものだ。しかし母の『私トリュフより6万円がよかった』
という言葉には深くうなずいた。
電気のスイッチをパチ、パチされる。
11月19日(月)
チアキテルミーティング。
試しに二人で音を出したり、チアキテルールを決めたり、お蕎麦を食べたり、
お茶を飲んだり、しゃべったりして、密度の濃い日だった。
テルミンの中を開けて見てみると、Romちゃんのテルミン(ロットNOは1ケタ)
と私のテルミン(ロットNOは4000番台)では内部の構造がビミョーに違って
いることが判明する。具体的に言うとコイルの数とか。
どちらがどうなんだかは、わからない。
最近何がいけないのか、よくこのツールでフリーズが起こる。もしかして、日
記に画像を取り込みすぎたために容量オーバーとか、そういう事態になってい
るのか?
このまま絵日記状態で容量を増やし続けるのも限界があり、いつか、何かの形
で増え続ける日記のことをなんとかしなくちゃいけないと思い、とりあえず、
このところ絵をつけていないのだけど、どうしたものかな....。
いろいろ考えることは多いけど、とりあえずチアキテル始まっちゃった。
今日も流星は見られるのでしょうか。
11月18日(日)
やらなきゃいけない雑用をもくもくと。
それから、次のいろいろに向けて準備もはじめる。
そんなこんなで一日家を出ず、平和にすぎた一日。
が、ある必要に迫られてこのところ英語(しかもビジネス英語寄りの英語)
でアメリカの機材屋さんやその他の会社へ問い合わせや依頼などのメールを
出す日が続いている。
ああいうものは、直接やりとりをしてフランクに話し言葉でメールを出すと
話も早いのに、変にビジネスチックに向こうがいろんなシステムに乗っ取っ
ているともうややこしくてダメ。向こうの金融期間がらみなんて更にややこ
しい。日本でだって、そういうお堅いシステムはいちいち聞かなきゃよくわ
かんないのに、なんで英語で....。
ここ数日でテスト期間と同じぐらい英和、和英をひいたと思う。
私はこんなでも一応英文科卒ですが、英文科に入った途端に英語が大っき
らいになったので、まったく英語はできません。念のため。
おまけに第二外国語はフランス語を選択してましたが、そのフランス語の先
生というのが、またふざけたことに発音を黒板にカタカナで書いてしまうよ
うな先生だったので、当然私もフランス語なんてボンジュール、シルヴプレ、
ぐらいしかわかりません。
しかし、22〜3歳の頃に、そんな状態でいきなりフランス旅行に行った
んですが(メンバーは少年王者館にいた友達)、その時はすごかった。
ツアーとかじゃなしに、その日に泊まる宿も決めないでとりあえず行った
という感じだったので、町でかわいいレストランに入ってもメニューが全
く読めず、あてずっぽうに頼んだら『灰色の毛の生えた何かの輪切り』とか
が出て来て、気を失いそうになりました。結局それは後で子牛の脳の輪切り
だったことがわかり、更にこわかった。
この話はずいぶん後になって、やはり少年王者館の人が当時発行していた
文芸誌に書きましたが。
まあそれぐらい、ことばというものは、わかるようでわからないようで、
しかし伝えたいことは伝わる、というフシギなもんだと、言いたいのでした。
いやーだからスティーヴ(だったっけな?)、早く返事ください。
11月17日(土)
買い物に出かけて、寅さんを見て、純粋なお休みっぽい感じ。
つくづく、私って趣味の無い人。っていうか、私の趣味は、『さあ、やるぞ』
と思ってするタイプの趣味じゃないんです。たとえば、変な看板を記録する。
例えば、トラックの車体に書かれた名前などを反対から読んだらおかしかった、
というのを記録する。例えば、変な服の柄を記録する。例えば面白かった夢を
記録する、って全部記録じゃん。しかも、みんなふいの出来事なんです。
あ、古本コレクター、ボタンコレクターというのもあるけど、それも出会いだし。
なんか素敵な趣味がほしいなー。あ、読書。これは趣味と言えます。あと、意外
かもしれないけど、スキーは大好き。
何を隠そううちの母はスキーの大回転の選手(成績のことは詳しく知らない)
だったので、私は2歳の頃から毎年毎年スキーにつれて行かれていたのです。
東京来てからはもうあまり行く機会がなくなってしまいましたが。
私が小さい頃あるスキー場で、転ぶ度に目の前の雪の中からお札が出て来て、
おまけに、その日泊まった旅館の大浴場の洗い場のところにも百円玉が積み上
げて忘れてあって、一日じゅうお金を拾いっぱなしだったことがありました。
あの頃はのんびりした世の中でしたね〜。
あ、話がまたそれた。
これは立派な趣味だね〜。じゃ、スキーってことにしとこう。
それはそうと、借りていた寅さんのビデオ3本のうち、1本がテープ切れて
て見れなかった。ずっと逃さず見てるのに、この1本が見られないのは悔しい。
今、世の中で、私ほどこんなに立続けに寅さんを見続けている人がいるだろ
うか?ついこの間まではなんの興味もなかったのに、見始めたら止まらない。
そして寅さんを見ながら頭の中では12月1日の東京中低域で歌う曲のことを
考えている。
私の曲が全員バリトンサックス、というアレンジがなされるとどんなことに
なるんだろう、と楽しみなのに加えて、私はいわゆるシンガー、というのと
はちがうから、楽器をなにも持たないで歌うのみ、ということがうまくいく
のかちと心配でもある。が、初めての挑戦が楽しみ。
11月16日(金)
終わったライヴの録音を聴きながらとりあえず休憩。
昨日はたくさんの人が来てくださってうれしかった。
青山さんや棚谷さんや、夏秋さん、Romちゃんなどのほかに、空気公団
の山崎さん戸川さん石井さんも見にきてくださった。
来てくださった方、CDや手ぬぐいを買ってくださった方、強力サポート陣、
MANDA-LA2の方々、ほんとにどうもありがとうございました。
今回の編成はアコースティックなのにどこか電気っぽい、プラスちょっとおも
ちゃ的な雰囲気もある、という変わった編成でとても楽しかった。
毎回編成には悩むのですが、結果として毎回成功していて、まわりのミュージ
シャンの底力にハッとさせられます。
これで加藤千晶のソロとしては今年最後のLIVEが終わりました。
来年もまた楽しいライヴをたくさん計画いたします。どうぞお楽しみに。
それはそうと、ライヴ前にふらっと行った吉祥寺の古本屋さんで(吉祥寺に行
くと大体いつも行く)またまた本の大買い物をしてしまった。帰り重い重い。
そこの本屋さんはたいていいつも買うものが見つかるので、うれしいんだけど、
5,000円以上使っちゃったなあ。
まあ、そういうのは出会いだから仕方ない。
昨日はあんまり曲名を言わなかったので、曲名をアップしておきましょう。
11月15日MANDA-LA2
寒い時代
あじさいの人
ノービ・シベリヤ・メリヤス考
犬とならんで
南雲通り交差点
留守番ライス
新曲(まだ題名ない)
バイバイさよなら
カナブン
誰そ彼のうた
暮らしのリズム
船は行く行く
棒がいっぽん
ライジングサン
〜アンコール
寅さんの冬の星座