10月21日(日)
祐天寺へ。
帰りに電車を乗りまちがえ、そこからいろいろ乗り継いで、やっとの思い
で帰宅。結局終電になってしまった。
以前はそんな乗りまちがいなんて絶対しなかったのになあ。
でも終電はいろんな人がぐでんぐでんになって乗っているので、おかしい。
目がすわっちゃってるのに、ドーナツをもぐもぐ食べている人や、自分と彼
女(?)が抱き合って映っているプリクラ全身版みたいなやつをずーーーー
っと見ているお兄ちゃんとか、薄目をあいて寝ている人など。
他にもなんかいろいろあったが、どうも思い出せないので、また明日。
『ふのり』という食べ物を初めて食べた。
10月20日(土)
バッタがガラス戸の向こうに止まっていた。
バッタを裏がわから見たのは久しぶり。そこでじっと見ていると、なんと
うんちをし始めた。お尻からピロンと黒い糸くずみたいなのが出て来て、
ポトンと落ちた。
ほほー。バッタのうんちを見たのは初めてだ。珍しいものを見た。
曲作りに没頭するも、いまいち、断片が形にならない。
その他、2〜3計画中のことを頭の中で具体化して考えてみる。
来年早々に実現できたらいいなあ。
一日曲と格闘していたので、外野の音は無し。
絵を書きはじめて、やっとTHE BANDを聴く。
お風呂読書はトルストイの人生論に突入。これは学生の頃買ったきり、結局
読まないまま今まで来てしまったもので、気分を新たに読みはじめたが、
今の気分には激しく合わない。ええい、めんどくさい。
ということで、録画しておいた寅さんを観る。少し切ない気分になる。
バッタの口はお尻の穴のようになっている。
10月19日(金)
とりとめなく曲作り、そして仕事の為の下準備。譜面書き。
ちょっとした心配事のためにけっこうダメージをくらっている気のちいさい
自分。
その心配事というのは、まあ大したことなないある体質のことで、小さい頃
その体質を指摘されて(病気ではない)、大人になるにつれて徐々に治って
来てたのに、最近になって、またその傾向に戻ってしまっていたようなのです。
ってなんのことだか説明になってないでしょうが、まあ本人にしてみれば、
ちょっとした心配の種になっていると、そういうわけです。
そんでもまあ、その気分を払拭できればなあ、という気持ちから美容院へ。
帰宅して、望遠鏡型の星座早見をのぞきながらボーっとする。
もし、街の灯りなど一切ない澄んだ空ならば、西の空にはおひつじ座も見える。
夜は栗ごはんとかますの塩焼き。秋だねえ。寒いねえ。
10月18日(木)その2
昼間検診に行く。電話とか、メールとかいろいろ雑用。
夜テルミンのRomちゃんのライヴを観に南青山へ。
いろんな曲をやって、とても楽しかった。聴くたびに上達してるみたいだぞ。
これはヤバい。私も早くテルミンやらないと、チアキテルを結成するまでに
差がつきすぎる。
対バンのピアノの方の演奏を聴いていたら、学生の頃弾いたことのある曲も出
て来て、自分のクラシックピアノの発表の会の時のことなどを思い出してしま
った。
たまにはちゃんとしたクラシックの曲も練習しようかなあ、などと思う。
帰りの電車で急に曲のメロディーが浮かび、そんな時に限っていつも持ち歩い
ているミニミニ五線紙を持っておらず、エンピツもなく、仕方がないので、
PHSの自作着メロに音を出さずに登録。果たしてこれは曲にまとまるのか?
ちょっとばかり心配なことがあり、なんとなく気分がすっきりしない一日。
別にたいしたことではないんだけど。絵を描く気分ではない。
10月18日(木)
留守をしていた一週間の間、実は名古屋へ帰ってました。
友達の結婚式があり、パーティーの司会あり、仕事あり、家の模様替えの手
伝いあり、盛り沢山だった。
家では本棚を動かすために中身を出したことによって、ダイモが見つかり、
フランス語の辞書のカバーからビニール袋にずっしりはいった500円玉貯金
が見つかり(辞書本体は無し)、むかーし少年王者にいた頃の演劇ぶっくが
見つかり、パティ&ジミーの櫛が見つかった。
前、日記に書いた母の『スライム増える』発言についても、母の言い分を聞く
ことができたし、充実した一週間だった。
母があの時なぜ突然『スライムが増える』と言ったのか、それはこうである。
それは当時、祖母と叔母が紅茶キノコの凝っていたということにすべてがあった。
母はぬるい液体の中で夜のうちに増える『紅茶キノコ』という物体が、どう
しても気持ち悪かったらしい。しかし姑である祖母から『ぜひ飲んだら』と薦
められ、飲むに飲めずに苦しんだ。
という過去の記憶が私のスライムを見た時に脳裏によみがえったらしいのだ。
それであんなに、ムキになったんだ......。
こうして聞いてみると、母は母なりに、そのめちゃくちゃな言動にはそれぞれ
理由があるのかもしれないな、と思った。
東京中低域の12月のLIVEにお誘いをいただく。
東中はバリトンサックスの集団で、矢口博康さんや水谷紹さんや、栗Qの川口
さんや友人の鬼頭哲などたくさんのイカしたサックスプレーヤーたちがバリバ
リやっておられるバンドである。
そこへゲストで参加させていただく際には、楽器は持ってっちゃダメなのだそ
うで(それがルール)、ゲストはバリトンサックスのみをバックに歌うのである。
私はピアノなりグロッケンなりという楽器を何も持たないで歌を歌う、という
のはしたことがないので、かなり緊張します。
珍しい感じになると思うので、ぜひ見に来てみてくださいな。
今日はなんか話題が散漫。まあ、ブランク明けなんで.....。
10月10日(水)
雨すごい。
ちょうど私が駅に着いて家まで歩こうという時になって、暴風雨になってし
まって立ち往生。
カミナリもどっかんどっかん鳴ってるし、蒲田変電所には落ちてるし。
たまたまお腹がすいてすいてお弁当を買ってしまった後だったので、傾けない
ように横なぐりの雨から守るのすごく大変でした。
駅では大勢の人が雨間を待って立ち止まっていて、その人々の様を見るのは楽
しかった。
運動部系の高校生がズボンをひざの上までくりくりとまくりあげて、さっそう
と豪雨に立ち向かって行くのを見て、最初、私と一緒になすすべなく立ち止ま
っていたサラリーマンのおじさんが、やおらズボンのすそをピッチリ靴下の中へ
入れ込み、意を決して雨の中へ飛び込んで行ったのはおかしかった。影響され
てる。
隣では、ケータイで家に迎えを求める若いおねーちゃんたちに混じって、やはり
初老のサラリーマンが家に電話をしていた。
でもしきりに『いや、傘はあるんだってー。傘あっても帰れる雨じゃないんだ
よー。だからー傘はあるの!』と言っている。
やはり奥さんはこれくらいの大雨じゃ車で迎えには来てくれないのか?
などという私も、小降りにならないかとしばらく待ったが、結局勢いを増すば
かりの雨に、飛び込むしかなかった。
こういう時は雨上がりのことを考えようと、キヨシローの『雨上がりの夜空に』
を歌いながら帰った。
この間、スライムで思い出したことを忘れないうちに書いておこう。
そのスライムが流行った当時、私は友達に見せられるまでスライムというモノを
知りませんでした。はじめて学校で友達からスライムをもらいうけ、家に持ち帰
った日、たまたま玄関で何かをしていた母は、私が持っている黄緑色のドロンと
したへんな物体を見るなり、『いやっ!それナニ?気持ち悪!』と来た。
私が『今流行ってるスライムだよ、ほらアメーバ(が生き物だという認識は当時の
私にはなかった。アメーバといったらあのスライムとかと同じおもちゃのアメーバ
しか知らなかった)とか、そういうのとおんなじようなやつ。』というと、母は、
『えっ?アメーバ?アメーバっていったら、アンタ!ソレ増えるよ!』
と言い出し、そこから先スライムを持って家の中に上がることを許してくれなかっ
た。
いくらなんでもこんなん増えるわけないじゃん、と最初は思っていた私も、母の押
しの強さにだんだん『そう言われてみれば、増えないっていう証拠は何もないな...』
などと思い始め、結局、スライムは玄関の上がり端に放置して、本当に増え
たり(大きくなったり)しないかを見極め、父が帰ってきたら捨てに行って
もらう、ということになった。
で、スライム玄関に置き去り。
しばらくしてそっとドアからのぞいてみると、今までこんもりとなっていたスライ
ムが時間が経つにつれ平たくのびてきていた(当たり前)。
それを見た母は『ホラ、大きくなってる、さっきより増えてる。』って、
増えてねーよ!ただダラッとしてきただけだって!と今ならマシンガンツッコミで
すが、当時のアホな私は、『ほ、ほんとだー......。きもちわる。』と素直に思って
しまい、結局父が帰宅するまでスライムは玄関に放置。私はそれで遊ぶこともなく、
家からスライムは消えました。父までもが半信半疑(になるなよ!)で首をかしげ
ながらスライムを外へ捨てに行っていたことが思い出されます。
父にはせめて否定して笑いとばしてほしかった。
スライムは、大きくならない。
用があり、家をあけます。しばらく日記はお休みです。
BBSはなるべくのぞくますので、あしからず。