忘れ物はないね?

『忘却』とは、忘れ去ることである。
人は『忘れる』という能力がなければ、絶望で生きていけないそうだ。
しかし、私にはそれらの忘れ物が大変愛おしく、また、そういった忘却の 中に存在する、私がかつて此処に存在していた証拠のかけらのようなものが、
どこか遠いところへでも散らばって、ある日ひょっと誰かのしゃっくりを止めたり
犬に遠ぼえをさせたりできないか、などと思うのである。
だから、私はこの日記を書くことにする。
この日記はその日にあった笑えることや、怒れることや、
その日に思い出した面白いことや悲しいことを記すためにある。どんどん忘れていくTwitterはコチラ

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2014年12月31日(水)みなさまよいお年をお迎えください。

引越日記が中途半場なまま、次から次にいろんなことがあり、あっという間に大晦日。
いやはや、お恥ずかしいかぎりです。

年々「記録」することが苦手になりつつありますが、それに加えて、日記やらなにやらに書いてしまうとライヴでおしゃべりすることがそのリピートになってしまうが自分でもつまらないので、より書かなくなってしまいました。
おしゃべりと記録は違うことはわかっていますが、どうもうまくいきません。

と、こんな言い訳めいたことを書きたかったわけではありません。

今年も、といいますか、いつも変わらず、わたしと関わり力を与えてくださるまわりのみなさま、ほんとうにありがとうございました。
ライヴに来てくれるひと、CDを買ってくれるひと、遠くのどこかでわたしの音楽を聴いてくれるひと、一緒にお仕事してくれるひと、一緒に演奏してくれるひと、立ち止まっておしゃべりしてくれるひと、電話くれるひと、ライヴに誘ってくれるひと、裏方として支えてくれるひと、通りすがりに手をふってくれるひと、目があってふと笑ってくれるひと、落とした鍵をひろってくれるひと、わたしの前を楽しそうに話しながら横切るひと、わたしの視線に気がついて尻尾をふる犬、あそびにくる猫、遠くの地で空を見上げるひと、そのほか、かぞえきれない点と線で、結ばれたり結ばれてないままだったりのいろいろなみなさん、どうもありがとう。

来年は今年よりもたくさんのまだ結ばれていない点にもたどり着けるように、そして今年よりももっとたくさんの知らない点がそれぞれの場所で輝くのを眺めることができるように、時やいろんな境界にとらわれず、歩きたいです。

加藤千晶とガッタントンリズム、来年もどうぞよろしくお願いします。

最後になりましたが、みなさまにまたよいあしたが来ますように。

[link:1307] 2014年12月31日(水) 22:35


2014年05月16日(金)お引越はたいへんだ・2「お引越屋さんもたいへんだ!」

これは、あくまでも私が体験して感じたり考えたりした、個人的な引越の騒動です。
なので、これからお引越をしようとする人への、具体的な指南のようなものにはもちろんならないし、参考にもなるとは思えません。
でも、お引越をするだけなのに、この人こんなにてんやわんやだったんだ!という記録をどこかに残しておこうと思い、この「忘れものはないね?」に書き留めます。
へーーーーーー、大変だったんだね、と笑ってもらえたら幸いです。

さて、大量のモノと、締切を前に立ち尽くすわたし。
でも、世の中にはこんなもんじゃない荷物の人もたーーーーくさんいるはず。
仕事をしながら引越もしなきゃ、という人もたーーーーくさんいるはず。
そしてその人たちも今日もどこかで元気にお引越しているはず。
と一生懸命自分に言い聞かせ、暇あるごとにとにかく捨てる、売る、実家に送り返す、など、おそらく誰もが引越の際には通るあろう道を順調に進みはじめたのでした。

一方、日々お会いする色々な方が、引越と聞いて、ご自分の体験談を聞かせてくれました。
その多くは引越屋さんに関することで、それも個人差のあることだから、そのすべてが独断といえば独断なのだけど、
「引越屋さんはほんとうにピンキリだから、よーーーーく選んだほうがいい。」
「◎○引越社はダメ。」
「△△引越社は高いけどとてもよい。」
「どこそこは安いけど最悪。」
「あそこは安くてよかったけど、荷造りとかいろいろはやってくれない。」
「結局、値段は人の代金。安いからって、役に立たないアルバイトが大量に来られると最悪。」
「すごいテキパキしてたけど、テキパキすぎて怒られた。」
「安ければいいってものではない。ある程度の値段で質を買うのも大事。」
など、どれもこれもためになりすぎて、納得できることばかり。
結局耳年増になるだけなって、よくわからなくなってしまいました。
よくわからなくなってしまったので、テキトーに、噂できくところの「最高ランク」、「フツー」、「最安ランク」の3種類で、各ランクの精鋭(?)と思われる引越屋さんを選び出し、A社、B社、C社に見積もりをとってもらうことに。
このうち、「最安ランク」のC社は、「とにかく省けるところはとことん省いている料金設定なので、訪問見積もりはやっていません、ネットで自分で入力して見積もりをとってください」ということで、それをする。
そうして出てきたC社の見積もりは、その安さには目を見張るものがあったけれど、ほんとうにこれでいけるのかどうか不安。あと荷造りのお手伝いなどは当然つかない。見積もりの時に入力もれがあると、それは持ってってくれない、または別料金発生。そしてなにより、引越当日の時間が前々日ぐらいにしかわからない。とのことで、おそらく安さと引き換えに、当日までドキドキして過ごすことになりそうでした。
そして残りの「最高ランク」のA社、「フツー」のB社は同日に時間差で来てもらい、見積もりを出してもらうことになりました。

見積もり当日、先に来てもらうことになったのはA社。ここは、噂で「かなり高いけど、仕事は本当に完璧。安心感も完璧。」と数人から聞いていたところでした。
来てくれた営業マンは、わりとイケイケな感じの30代男性。
荷物を見渡して、「こ、これは、大規模なお引越ですね。」と一言。
そして、とある金額を提示しました。さらに一部荷造りまで頼むとすると追加で5万〜9万ほどかかるとのこと。
驚きませんでした。
だってそこはもう高いって聞いてたから。高いけどその分すごくきっちりやってくれる、って聞いてたから。
それになにせ、引越は14年ぶりで、引越料金の相場がもうぜんぜんわからなくなっちゃってるし、たくさん聞いた情報も具体的な値段は結局わからないし、そんなもんか、と思い、素直に「へーーーー」とうなずきました。
すると営業マン、その「へーーーー」を、「高いな、と思ってるな」と解釈したらしいのです。
次の瞬間、いきなり「ボクでお役に立てること、なんかありますか?!」と決め台詞のようなセリフを言い放ったのです。
「え?」
セリフがなんかすごく芝居っぽかったのと、状況にたいして遠回しな発言すぎて、何を言ってるのか意味がわかりませんでした。
「○○さんにできることですか?」ちょっとおかしくて半笑いになりながら聞き返すと、「このお値段だと高いですか?ボクにできることありますか?」とまた同じことをいいます。
ああ、そういうことか。
これはつまりひょっとして、負けてほしい、という言葉を…..待っている?
もう完全に笑えてくるスイッチが入ってしまったのですが、せっかくなので言ってみました。
「これってもう少し安くしていただけるものなんですか?」と。
すると、待ってました、とばかりに、「いやーーーー、キビシイっすね〜〜!なんせこの量なんで、3トン車2台で、人は5〜6人必要です。積み込みは前日の夜中にやらないと当日テッペン越えますし。……でも、ぶっちゃけいくらだったらいいですか?」
キタ。やっぱり言ってほしかったんだ。
そこで、ああつまり、なんだかんだいって最初の値段は交渉ありきで出してるんだな〜、なんだかな〜、という気持ちになり、それならいっそ思いきった金額を言ってみようと思って約半額値段を言ってみた(ちなみにその値段は自力でやったC社のネット見積と同じ金額)。

すると……
「あ、さすがにそれは無理ですね。」とあっさりスルー。
なんだよ!ツンデレかよ!と思わず心の中でつっこみつつ、表向きには「はあ、そうですか〜、ですよね〜。あはは」とがっかりしていると、次の一手が来た。
「あのですね、この後、どこか他社さんが見積もりに来られる予定ですか?それ全部断っていただいて、この場で決めていただけるなら○万円(当初より5万ほど安い)でできるかどうか、今この場で上司に電話して交渉するんで。ちょっと待ってください。」
え?この場で上司に交渉?
返事もせずキョトンとしていると、彼はすぐさま携帯で上司に電話をかけ、うちの条件を話し、「この場で決めてもらうんでその値引き金額でやらせてほしい」と上司に頼み始めたのです。
電話のむこうでは「上司」がゴネている様子。
が、しばらくああでもない、こうでもない、とやり取りした後、得意げに電話を切った彼は、「オッケーです!いまここで決めていただければこの金額(最初より5万安い)でやらせていただきますんで、どうですか!」
わたし「はあ……。」
なんとなく、全体的に、すべてが若干「芝居」のような感じもしたのだけれど、つまり上司との芝居後に値引きされて出てきた値段が最初からのこの会社の値段なんだろうと解釈した。
いろいろなツッコミどころは置いておいて、ともかくもうしんどくなってきて(まだ1社来ただけだが彼のイキオイと小芝居でエネルギーをだいぶ吸い取られた)、決めてしまいたい。
「かなり値段は高いがその分頼んだ甲斐はある」「安ければいいってものもない」「ある程度の値段で質を買うのも.... 」などという情報が頭をめぐり、しかしその違いというのが具体的にどのくらいなのかがよくわからないので、いくらかの違いで仕事の内容がそんなにきちんとしているのならもういいや、と思い、契約をすることにしました。

そして勢いよくA社の営業マンが帰った10分後、今度はフツーランクB社の営業マン氏がいらした。
この後の訪問は断ってくれ、といわれたけれど、そんな急なキャンセルをする時間があるはずもなく、とにかく、お話だけは聞くことにした。
しかし、さきほど契約をしてしまった手前、この営業マン氏の営業は、いってしまえば虚無への供物。それを思うと胸が痛み、いっそここで帰ってもらったほうがいいのか、などと考え出し、気が揉める。
B社の方は落ち着いた50代ぐらいの男性。
やはり荷物を見渡して、「お荷物、多いですね。2トン車3台で人は4〜5人になると思います。」
そして、「ちなみに、本日は他社さんの訪問はあるんでしょうか?うちが最初ですか?それとも後のほうですか?」と静かに尋ねられました。
ギックーー!としたのを一生懸命顔に出さず、「え、ええ、まあ。あと2社さんほど…先というか後というかほにゃほにゃ△¥※$☆….」と答えると、何かを察したのか、
「そうですか、でしたらうちにチャンスをいただける可能性は少ないのかもしれませんが、でもお考えに入れていただけるなら」と、再び静かに出してくれた金額、さきほどのA社の半額をすこーし上回るぐらいの金額。

「えぇぇ!(安っっっっ)」
さっきと比べると、あまりの安さ。C社と大して差がないのです。
「いくら差があるっていったって、C社のような特殊なところは別として、大手は大手だもの、ある程度の範囲のところで上下する感じなんでしょ?」と思っていたこちらの予想を大きく下回る金額にぽかんとしてしまい、一瞬絶句してしまいました。
すると営業マン氏、その「えぇぇ!」を、「高いな、と思ってるな」と解釈したらしいのです。
次の瞬間、「ですよね、高いですよね。」と営業マン氏。
わたし「………。(とっさに何言っていいかわからない。)」
営業マン氏「わかりました。ではこの金額(さらに下がって、結局A社の半額)でいかがですか?あと、荷造りは全部ご自分でされますか?」
わたし「ほんとうは本棚とキッチンの荷造りがお願いできたらうれしいと思ってたので、お願いすると追加料金がどのくらいかというのも参考のために教えていただきたいです。」
営業マン氏「そうですか、では、このお値引きのお値段で、前日に本棚、キッチンの荷造りも一部荷造りでさせていただきます。」
わたし「!!!」(えぇぇーーー!これで一部荷造り込み?なんなのこの展開。)」
営業マン氏「いかがでしょうか?」
わたし「………。(もうパニック。)」

こちらがあまりにも黙ってしまったので、営業マン氏はおそらく必死で私の表情を読んだのだろうと思いますが、わたしがあまりにも複雑な顔をしていたのでしょうか、それ以上どう言葉をつなげていいか考えているふうでした。
そして、しばし沈黙。
わたしはやっと絞り出すようにお返事をしました。
「で、では、一旦こちらで検討しまして、のちほどお返事させていただきたいです。(っていっても、えーーーと、えーーーと、一体どうすれば???か、考えるから、おねがい、とりあえず帰って!わたしの前からいなくなって!)。」
「もちろん結構です。お電話いただけるのをお待ちしております。」
営業マン氏はどこまでも静かに、他社がどうだとか、ぐいぐい食い下がってくることもなく、あくまでも普通にさりげなく、あっさりお帰りになりました。

大変なことになりました。即、家族会議です。
というか、心はもうB社にお願いしたいのです。
金額が少々の違いで仕事が完璧なのなら、と思ってA社にしたはずでした。しかし、あまりにも金額が違い過ぎました。
ほぼ半額で荷造りもやってくれるっていってた。夜中に積み込みしないとテッペン越えるとかコワイことは言ってなかった。
B社も、A社同様、世間では知らない人はいない大手です。安いからと会社の信用にかかわるようなめちゃくちゃなことはするはずないもの。
ねーーーー。そうだよねーーーー。そうしよう。
でも、それにはA社をキャンセルしなくてはいけないのです。
……….どうしよう。

ということで、悩んだ末、やはりA社はキャンセルをお願いすることになりました。
すぐさま電話をかけ、「あのう、本当に申し訳ないのですが、さきほどの契約をキャ、キャンセルに…….。」
A社営業マン「えぇぇ!(さっき契約って言ってたのに)」
わたし「ほ、本当にすみません。よくしていただいた(し、小芝居までさせちゃった)のだけれど、どうしてもお願いできなくなってしまいました。」
断りの間じゅう、もう悪くて悪くて、生きた心地がしなかったのですが、それでも、平謝りし、やっとの思いでキャンセルをしました。
ほんとうにごめんなさい。

そしてB社に電話。
わたし「よろしくおねがいします。」
B社営業マン「えぇぇ!(可能性すっごい低いと思ってたのに)」

B社の営業マン氏はそれは喜んでくれました(っていうのも変なんですが)。
そして、電話の最後に「ご家族さまにもよろしくお伝えください。」と言われたのがとても印象的でした。
後になって、ほんのわずかなことだけど、こういうやりとりができる営業マンさんにお願いできてよかったと思いました。

こうして、お引越屋さんを決める一大事は、大雑把に要約すると、
わたし「えぇぇ!」
A社「えぇぇ!」
B社「えぇぇ!」
という展開の後、まるで一本ワンマンを終えたぐらいの疲労感をともなってとりあえず決定し、いよいよ引越当日へ向けて船は動き出したのであります。

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加藤千晶の7年ぶりのアルバム『蟻と梨』は、渾身の新録全24曲、2枚組で発売中です。次回のライヴは6/7(土)吉祥寺MANDA-LA2。そして今週末5月18日はひげめがねトリオが札幌へまいります!詳細はトップページ をご覧下さい。

[link:1306] 2014年05月16日(金) 14:28


2014年05月13日(火)お引越はたいへんだ・1「現場はモノで溢れてんだ!」

あれよあれよと時は流れ、気がつけば2014年もとっくに明けて、あと少しで半分ぐらいにもなろうとしています。
といったところで、毎日、概ね浮かれて過ごしているわたしですが、今年の春、お引越をいたしました。
音楽を作る環境の快適化と、機材があふれてきちゃったことで、引越を思い立ったのは去年のはじめのこと。
でも、思ったとおりの条件を全部満たすような物件なんてそうそうあるものではありません。
結局1年近く物件を探し続けていたことになります。

楽器は弾けないと困る、広い、駐車場も!あ、陽当たりもいいほうがいいなあ、冬は暖かいほうがいいもの。でも夏は涼しいほうがいいよね〜。築年数もあんまり古すぎるのも困るし。で、駅から近くて、仕事でよくいくスタジオとかにも行きやすくて、ライヴでよくいくあたりにも行きやすいとこ希望。うーん、あと、隣のひともいいひとだといいわあ。もちろん家賃も重要。すごく重要。
ネットであらゆるサイトをみまくり、見に行ってはああでもないこうでもない、って言ってる間に下手な不動産屋さんより物件に詳しくなり、出してもらう物件ことごとく見たことある、というとてもやりづらいお客になってしまい、やりとりしてくれていた何人もの不動産屋さんがフェイドアウトしていってしまいました。

そんな中で、ひょんなことから内見に応じてくださったとある不動産屋さんのOさん、この人に救われました。

物件を一緒に見に行ってくれて、そこのいいところも悪いところも全部教えてくれて、ここはちょっとやめたほうがいいかもしれませんねえ、などと言い出す商売っ気のなさ、そして「あわてて探すことはないので、ゆっくり自分に合うところを探してください。内見は早朝でも夜中でもいつでもおつきあいします。」という涙の出るようなことまで言ってくれるのでした。
あげく、都合で途中何ヶ月間か物件探し自体を中断したりもしたのですが、その間、フェイドアウトすることもなく、付かず離れず待ってくれるというありがたさ。
結局、私たちが中断している間に、Oさんは颯爽と独立して不動産業をされることになり、よりフットワークが軽くなったのか、ますますこちらのワガママにもつきあってくれるようになり、最終的には12月30日、という暮れも押し迫った、普通ならとっくにお休みモードのさなかに内見につきあってくれたり、お正月をはさんでの契約作業もすばやく進めてくれたりで、ようやく、ほんとうにようやくめでたくお引越ができることになったのでした。
物事の決まる時というのは早いものですね。
あんなに探していたのに、その物件が出たのがクリスマス、内見に行ったのが晦日、そしてお正月あけには契約の交渉と相成りました。
当初さがしていた地域ではなかったのですが、いろいろな条件がとても都合がよく、そこに移ることにしたのでした。
Oさんにはほんとうに感謝しています。

さて、めでたく物件が決まった。
次は引越。
客観的にみて、荷物はまあ多い方だと思うけれど、ちょちょっと断捨離すれば、たいしたことないよね、と思っていました。
だって大事なものだけを持っていけばいいんでしょう?
この部屋の中にあるものはぜんぶ大事なものだから、このままあっちの家の……え、どの部屋に?

驚きました。
古い家では、わたしはリビングで仕事をしていたのです。
というか、最初は仕事部屋がちゃんとあったのです。
でもそこがいつの間にか、使う頻度が低い鍵盤や機材、本棚に入りきらない本、あと大事なものと洋服の荷物部屋になってしまったので、わたしがリビングにはみ出てきてたのでした。ということは、つまり元仕事部屋の現在は、一部屋まるごと荷物。
そして、新しい家は部屋の数は同じなのですが、そのうちの一部屋は防音室で完全に仕事のスタジオ仕様にすることになっているので、いままでのようにまるまる一部屋を荷物部屋として使うなどというのが許される部屋はないのです。ということは、機材類はいいとして、わたしの「本棚に入りきらない本」や「洋服」や「大事なもの」は一体どこへ行ったらいいんでしょうか?
首をかしげていたところへ、「今度のあっちの家のスタジオには、音楽に関する以外のムダなものを置くことを一切禁ずる。」という家人の言葉。
家人の機材なども当然そこに置くわけですから(今までは自分の部屋にぎゅうううっと置いてた)向こうも真剣で、言葉には「このせっかくの防音室をオマエの荷物置き場には絶対にさせん!」という殺気がありました。
「だ、だよね〜…。」
大変なことになりました。
ちょちょっと断捨離、というレベルでは完全にありません。
逃げたい。ここから、この荷物から逃げたい。
そしてまだなにも始まっていない引越の騒動は始まるのであります。

[link:1305] 2014年05月16日(金) 13:58


2013年08月13日(火)そしてまた珍道中

暑い盛りの、夏のツアーを終えて、ちょっと日記でも書こうかな、と思ったら、前回の日記のタイトルも珍道中。
一体どんだけ珍道中なんでしょう。
年柄年中珍道中。
ネンガラネンジュウチンドウチュウ、ってなんかとても語呂がいいですね。

そんなことはどうでもいいのですが、今回の珍道中は、2013年夏、「加藤千晶&ブラウンノーズのガッタントン珍道中」なのです。

かれこれ、ブラウンノーズに出会ったのは、おそらく、2枚目のアルバム「ライラックアパート103」が出た後。
なので初めて彼らをライヴに誘ったのはおよそ10年ぐらい前のようです。
あの、初めてブラウンノーズを観て、聴いた衝撃は忘れません。
それから、なんとか彼らと一緒になにかやりたい、と3枚目の「おせっかいカレンダー」にコーラスで入ってもらいました。
その時には、まだちゃんと本格的に参加してもらえるようなシステムがどちらにも整ってなくて、コーラスだけだったのですが、ライヴには時々誘ったりしていたと思います。
なにせ、ブラウンノーズはライヴが少ない。
なので、なんとかブラウンノーズのライヴを観ようと、半ば強引に自分のライヴと対バンでブッキングしたり。
それでもさすがに地方へはなかなか行けなかった。

で、去年、「蟻と梨」には、コーラスだけじゃなくて、演奏やアレンジやアイディアなんかも一緒に作ったりして、さらに一緒にツアーに出たい熱が高まったのでありました。
そんな時、レコ発で行った名古屋のTOKUZOで、「千晶さん、ブラウンノーズが名古屋で観たいんです。どうか名古屋にブラウンノーズと一緒に来てください」と言ってくれたお客さんがいました。
そこでじゃあ、ぜったい来年はブラウンノーズと来るね、と約束。

果たして今年の8月、お盆休みもはじまろうという猛暑の名古屋、大阪へブラウンノーズとの対バンツアーが実現したのです。

大人数のバンドでのツアーはそれはやっぱり大ごとで、体力も気力もいろいろ大変です。
特に今年は日本全国、最高気温をマークしただのしないだの、という猛暑で(ツアーの日程を決めた時は今年の始めで寒かったから、あんまり気がついてなかった)、一緒にまわってくれたメンバーのみなさんも本当に大変だったと思います。

それでも、ほんとにやってよかった。
わたしが一人で喜んでいるだけかもしれませんが、このメンバーで珍道中に出かけることができて本当にうれしかったです。

また、今回のツアーでは、思いがけない人たちがたくさん観に来てくださって、それもすごーくすごーくうれしかった。
なかなか普段会うことのない名古屋や大阪の人はもちろん、遠くに住んでいる人、東京からわざわざ応援に駆けつけてくれた人、何年も会っていない同級生、ひょっとしたらもう会えなくなってしまうかもしれない、と一時は本当に心配した人、本来ならこの時間にここに来られるはずのない人、それから、いつか会えるといいなあ、とぼんやり思っていた半分夢のような人などなど、あの場所で会えたすべての人たちと過ごした時間が、ほんとに素晴らしかった。

時間や距離を飛び越えていろんなものをみなさまからもらったりお返ししたり、知らされたり知らせたり、助けられたり助けたり〜♪みたいな。
距離も時間も関係なく、知ってる人も知らない人も、どこかで手を振れば誰かが振り返してくれたりなんかして、演奏しながらステージ上を振り返ったり、お客さんの顔を見たりして、なんだかいいなあ!と心から思ったのでした。

誰かがそうしてくれるように、私もどこかの誰かの「いってきます」や「ただいま」に「いってらっしゃい」「おかえり」と答えたい。
「チッ」と誰かが舌打ちしたら、「おうおう、どーしたんでい、おいらもムシの居所が悪いんでい」と酒でも酌み交わして毒を吐き出したりしたい。

ただの町のちっぽけな挨拶だけど、そんなちっぽけなコール&レスポンスがしあわせの原点じゃないかと思うのです。
こんなふうに思わせてくれるまわりのみなさん、ほんとにありがとう。
一緒に演奏してくれるメンバーのみなさんに、私たちの音楽を聴いてくれるみなさんに、場を用意してくれるみなさんに、私と出くわし、手を振ったり口笛を吹いたりウィンクをしたり挨拶を交わしてくれるすべてのみなさんに心から感謝します。

みんなで珍道中しましょう。
みなそれぞれの珍道中の途中で、声をかけたりかけられたり、迷惑かけたりかけられたり、傘をさしかけたりさしかけてもらったり、お醤油を借りたり貸したり。
それこそ珍道中のしがいがあるというものです。



[link:1304] 2014年05月13日(火) 22:11


2013年03月24日(日)珍道中

いつも3月下旬あたりにはleteのライヴをするのですが、今年は24日の日曜日になりました。
この日は誕生日で、でも誕生日ライヴなんていうと、来てくれるひとが気を遣うんではなかろうかと思いできるだけ静かにしていたのですが、たくさんの方がライヴに来てくださり、それ以外にもほんとにみなみなさまから心のこもったお祝いのお言葉やメッセージ、プレゼントなどをいただだき、それはそれはうれしい誕生日になりました。
みなさま、ほんとうにありがとうございました。

43歳、という、自分がそんな歳になるわけない、と思っていたような歳になりましたが、改めて43年前に私をこの世に登場させてくれた両親に、
これまでと今とこれからもわたしと出会ったりすれちがったりしながらどこかでわたしとつながってくれているすべてのひとに、
まわりの愛おしいすべてのものごとに、心から感謝します。

そしていつもと変わらず、こうして目を覚まし、ごはんを食べ、靴を履き、おしゃべりし、町に出て、ライヴができるということが、じつはとても有り難いことなんだなーとつくづく思うのです。

しあわせのかたちはいろいろあると思うけれど、ありがとうって思えることはとてもしあわせなことで、わたしはありがとうって思えば思うほど、しあわせにしてもらっているのだと思います。
ライヴだって、なんだって、自分が楽しくなりたいから、みなさんの力をお借りしているのです。
だから、そのありがとうを、わたしも誰かに使いたい。
たいしたことはなんにもできないんだけど、うれしい気持ちはためておくより使おう。

わたしのだいすきなひとたち、しらないひとたちや、仮にもいまはあのやろう、と思うようなだいきらいなひとたち(がいたとしてもね、仮に)だって、やっぱりしあわせでいてほしい。
そうだといいなあ、と思います。

そのためにはやっぱりわたしが楽しくないとなあ!
と、結局、自分かい!という強欲さを改めて認識する、という堂々巡り。
そんなこんなしながら、またわたしの珍道中がはじまります。

みなさま、いままでありがとう。
そしてこれからもありがとう。
どうぞよろしくおねがいします。

[link:1303] 2013年08月14日(水) 00:20

2003年6月16日までの日記


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